過去の掲示板⑬ 2021.7.29~
2021.11.15
【営業再開のお知らせ】
まさかの長期にわたる臨時休業で、大変ご迷惑をおかけしました。
明日16日から営業再開いたします。
最初は少し、商品がそろいきっておりません…恐れ入りますが、当HPの「本日の販売商品リスト」をご確認いただけますと幸いです。
なおさっそくですが、近日中に店内、HPともに、クリスマスバージョンに変わります。
クリスマス特別商品もそれに合わせて公開いたしますので、どうぞご確認ください。
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2021.10.22
【状況と、営業再開日程のお知らせ更新】
ようやく、ふつうの日常生活が送れるようになってきました。
入院治療が必要と思われた痛みも、その前段階の治療が想定より功を奏して、かなり減衰してきました。
このままの調子でいけば、今の治療は10月いっぱいでひとまず終了とすることができそうです。痛みそのものはどうやってもすぐにゼロにはならないのですが、ここまできていればおそらくもう活動を始められるだろうというところまできました。
けっこう強い薬を飲んでいるので、それをやめたあとの経過観察の予備期間も少し長めに含めて、以前お伝えした日程を再度変更させていただき、11月16日(火)を営業再開日とさせていただきます。
さてこの間に、感染も落ち着いて飲食業が動き出す、という大きな変化がありました。クリスマスも近づいてきています。
方針だけ先にお伝えしておきますと、私はこの冬の様子(2021~2022)を観察し終わってから、カンティーヌ業態に戻すかどうか判断、といたします。それまでは現業態を続けます。
この件に関する詳細と、クリスマス商品について、近日中に再度お知らせいたします。
<~~みなさまもお気をつけください~~参考情報>
強力な痛み止めのために一日中頭がボーっとし続けている毎日でしたが、最近ようやくそれも解消してきたので、文章が書けるようになりました。なにが起こっていたのか、ご参考用に一応お知らせしておきます。
帯状疱疹という病気は、子供のころの水疱瘡ウイルスが死滅しないまま大人になっても神経節の奥深くに潜んでいて(誰でもあります)、それが疲れやストレスなどで免疫機能が低下したときに突然活動を再開して暴れだす、というものです。
そういうわけなので、まずウイルスから攻撃を受けるのは神経になります。このために体の内側のピリピリした痛みから症状が始まります。それから攻撃が体の表面にまで及んで、疱疹が出ます。
で私の場合はこの神経への攻撃がけっこう重症だったらしく(疱疹が出た範囲自体も広かったみたいですが)、MRIを撮ったところなんと、背骨の中を走っている脊髄というぶっとい神経の束の中にまで炎症が及んでいて、脊髄炎という状態になっていました。これはさすがにあまりないケースらしいです。
そんなわけでけっこう大変な痛みに襲われていたわけですが、こういう神経痛による痛みがひどい場合の措置として一般的にありうる治療法が弱、中、強の3段階ありまして、それぞれA、B、Cとすると、これくらい強い痛みが出ているとAやBでは効果が見込めないだろうから、Cという入院治療をすることになるだろう、というのが、最初の時点での話でした。
このCというのが素人的に聞くとけっこうかなりコワい治療法で、なんと背骨と脊髄の間のわずかなすきまに電極を付けたカテーテルを差し込んで、そこから脊髄に微弱な電流を流し続けることで痛みを伝達する流れ自体をストップさせてしまう、という荒業(あらわざ)です。いや荒くないんですけどね。非常に繊細です。もちろん技術的には確立されているもので、ちゃんとした治療法なので特別リスキーなものではないのですが、まあちょっとコワいとは思いました。ちなみに一回電気流して終わりではありません。そのカテーテルの反対端側(体から出ている部分)はなんと、電流を調節するための小さな機械につなげて、自分の腰に取り付けておくのです。そして先生に診てもらって、電流の強さを調整しながら、その状態で2週間過ごします。だから入院が必要なのですね。
今回はAやBの治療の段階で、想定よりも効果が出たので、それを繰り返すことで少しずつ痛みを取り除くことができました。B治療もまあまあコワいんですが。
これらは痛みに対する対症療法で、根本治療ではありません。脊髄炎は自然治癒に任せるしかないので、治るには数カ月から年単位の期間が必要らしいです。残りの痛みには、しばらくつきあっていくしかないです。
みなさまもどうぞお気を付けください。
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2021.10.9
【状況のお知らせ更新】
まだ入院しておりません。どうやら入院せずに済むことになりそうです。治療の効果が出始めてきました。ようやく夜ちゃんと眠れるようになってきました。
入院治療はけっこう大事(おおごと)になるので、それをしなくて済むならせずに、今の治療法で状態改善を待つほうがよいという判断になりました。
ただ当初の想定よりは長引く可能性もあります。今回はもう見切り発車はしない、大事をとる、ということを優先とさせていただきますので、もし再開時期がまたずれ込みそうになる場合は改めてお知らせいたします。
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2021.9.29
【状況のお知らせ更新と10月の営業について】
症状が改善せず、10月に入ったら入院する方向で話を進めております。2週間程度はかかるということです。申し訳ありませんが、引き続き、10月30日まで休業とさせていただきます。
ところで毎年この時期になると当店では、店内とHP内にモンスターがけっこうたくさん現れます。それでイタズラをいろいろ仕掛けて楽しんでいるようなのですが、今年はモンスターたちにも出現禁止としました。
今年は去年よりも遊びやすい謎解きゲームを用意していたみたいなので、私も少し残念だったのですが、来年まで持ち越しということにさせました。
入院中もPC操作は可能らしいので、また更新情報があるかもしれません。
ところで繰り返しですが、帯状疱疹にはお気をつけください。一生の間にだいたいの人がどこかで発症するらしいですが、症状の重さには個人差がかなりあるようです。しかも、重いものもすごく珍しいというわけではありません。これは単なる皮膚の病気ではなく、神経ネットワークを損傷させる病気です。とにかく早めの対処が一番です。
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2021.9.17
【状況詳細のお知らせ】
この度のことご迷惑をおかけしております。
夏季休業明けすぐに帯状疱疹という病気を発症してしまい、それの症状がけっこう重く、帯状疱疹後神経痛という合併症まで発症してしまいました。そのせいで上半身に常に激痛が走っており、夜もまともに眠れないような状態になっています。
この症状になると何カ月という単位で長引くらしいので、どうしようかと思案中です。
内服薬で治療中ですが、効果が出てこないので、神経ブロック注射という治療法を考えています。
いずれにしてもすぐに全快することはなさそうなので、しばらく休業とさせていただきます。
突然片側の肋骨の内側にピリピリするような刺されるような痛みを感じ始めるのが、この病気発症の前兆ですので、皆様もくれぐれもお気をつけください。早めに対処するに越したことはないという種類の病気です。悪化させすぎると最悪の場合体の一部機能喪失とかになるらしいので、甘く見てはいけないようです。
また改めて情報お知らせいたします。
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2021.9.16
【臨時休業継続のお知らせ】
私事で誠に申し訳ございませんが、前回お知らせした病状が改善しないため、しばらくの間、無期限の休業とさせていただきます。病状の詳細及び再開予定に関しては後日改めてこの場にてお知らせいたします。
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2021.9.14
【臨時休業のお知らせ】
私事で誠に申し訳ございませんが、体調不良により、9月16日(木)まで臨時休業とさせていただきます。
夏季休業が明けた直後に急病を発症していたのですが、休業明けすぐにまた休みにするわけにはいかないと無理を押して通常営業した結果、悪化させました。結局、独り仕事独り生活である限り、無理をすることにはお客様にとっても自分にとっても何一つよいことはないということを学びました。
コロナ禍で少しでも近隣住民の方の生活の楽しみのために貢献しようと極力休業はしない方針でやってまいりましたが、持続可能でないことを無理して続けても結果はより悪くしかならないことを思い知りました。
今後は危なそうな予感を感じた時点で、早めに臨時休業とさせていただくよう方針を変えることといたします。何卒ご理解のほどをよろしくお願い申し上げます。
なお来週の20日(月・祝)および23日(木・祝)は、かつてのルールどおり祝日臨時営業をいたします。また振替休業は21日(火)のみとし、24日(金)は通常どおり営業します。
ところで私はまだコロナワクチンの2回目の接種が完了していないので、9月末あたりでワクチン接種のための臨時休業も設ける可能性があります。決まった時点でHPでお知らせいたしますので、どうぞご了承よろしくお願い申し上げます。
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2021.8.29
店頭でお聞きになられた方には「少し休みたいので」とお伝えしていたこの長期休業ですが、実は体よりも心の問題が大きく、メンタル面で調子を悪くしておりましたが、毎日の業務から離れて自分と向き合ってじっくり考え直す時間を作れた結果、だいぶ頭と心をすっきりさせることができました。
前回8月5日の投稿時点ではいろいろなものが煮詰まっていた感があってとてもよくない状態でしたが、今はだいぶ改善しました。
そしてその上でやはり今、お客様に対して、前回の続きとなるこの話は、明らかにしておこうかなと考えています。
何の話かというと、私がこの店を運営していることを通じて、何をなそうとしているのか、どこへ向かおうとしているのか、という話です。
でもそれは本来は、お客様には必然的に関係がある話ではなくて、ただシンプルに日々のおかずを買いにいらしているお客様、とんかつを食べにいらしていたお客様、にとっては、知っておかなくてはいけないようなことではまったくありません。
うちの店に来るからには、絶対に知っておいてください!みたいなふうに考えているわけでは、全然ありません。とくにこの話のことを認識されることなくとも、普通におかずを買いにいらしてもらえるだけで、私としては大変光栄です。
ではなぜこんな話を今始めようとしているのかというと、それは今「から」このことを表明しておくことが、将来的に自分の店にとって必要なのではないか、という考えに至ったからです。これから先の中長期にわたって継続していくつもりのことであるのなら、今「から」始めたほうがよい、と思った、ということです。
ですので今の時点では、この話をほんのわずかな方にでも知っておいてもらえればいい、という考え方です。でも、これから先に少しずつ、この話を知ってくれている方を、増やしていきたい、と思っています。
ただ当然、この話は、リスクも伴います。お客様を失う可能性もあると思いました。なんであれ、店主が考えていることが公になれば、共感してくれる方もいるかもしれませんが、その逆も必ずあります。
さらにそれとは別問題として、特に日本のように考え方や価値観を語ることが一般的でない、あるいはときによっては望ましくないとさえされているような社会においては、そういう行動をとること自体が、見る側読む側聞く側にとっては「引けて」しまうという事態にもなりえます。そうなるようであれば、それはなんとなく足が遠のいていく、という結果に、必ずつながっていきます。
だから意識して、思想信条に関わるような発信は決してしない、と決めている飲食店や、オーナーシェフのレストランもあります。特にオーナーシェフ系の店の多くはそうしています。
ただ、私は思っていました…そのスタンスって、飲食業の世界の中だけではないか?と。
多くの企業は、企業理念を掲げています。その会社が、何のためにその事業を行っているのか、社会に対してどんな貢献をしていきたいと考えているのか、目指す理念や価値観を、HPでも明らかにしています。私は何か新しい企業の情報に触れるとき、この企業理念を読むのがとても好きです。
しかし個人でやっている飲食店や物販店、医院などは、店内院内に入ったところに何か思想信条を感じさせるものがあったりすると、反射的に身構えてしまったりすることがあります。例えば何か特定の慈善団体の紹介冊子などが置いてあったりすると、全然おかしなことではないのに、むしろおそらく善いことであろうことなのに、なんとなく、「思想色が強い人なのかな…」と感じさせてしまうような心理です。私にもそれはわかります。
これは、日本人が寄付や募金に消極的であるところの原因の一つであるような気がします。この心理作用はけっこう根深いところにあるように感じていて、相対的に日本人において強く働く心理なのではないかと、個人的には感じています。そしてだから同時に、単なる心理だけの問題、とも思っています。
私は、これを、日本社会として、変えていくべきときなのではないかな、とかねてから思っていました。
どんな会社でも、事業を行っているものとして、どんな理念を掲げているのかは、明確にする意味がある。必要もある。そしてそれを実践できているのかどうかもまた、試されている。それによって、人はついてくる。お客様もできる。離れていく者もいる。プラスマイナスのトータルで、存在する価値があるかどうかは、常に社会に問われている。
私のやっているのは従業員すらいないこんな小さな店ですが、それでも、事業を行っているという経営者の感覚で、店を運営しています。そこに、「飲食店だから」という理由で思想信条は必要ない、という考えはありません。むしろ「飲食店だからこそ」社会にどのように貢献していきたいと考えているのか、という点は、問われてよいと考えています。
前回8月5日の投稿で書いたように、私は、これから、社会が変わっていくように予感しています。
第一段階は、これから半年から数年くらいのスパンで、日本社会が、なんとなくバラバラ感のある不安の中に陥っていくような期間。
そしてそのあと、数年の先に、ある程度完全に今のコロナ禍が収束したとしても、そこで気づいたときに、なんとなくコロナ前の社会とは違っているような気がする、第二段階の変化が訪れるような気がするのです。
その第二段階に至ったとき、私は、社会の中に、「意識格差」のようなものが生まれているのではないか、と予想しています。社会の中の、6割か7割くらいの方々は、コロナ前とは、何かの意識が変わっている。それは、「社会」や「公共」など、自分の直接的な損得とは少し距離をおいたところに浮かんでいるような、抽象的で、とっつきにくかったものに対する、意識です。
それって、今まであまり意識していなかったけど、なんだか最近気になるようになった、とか、ちゃんとしたニュースをよく見るようになった、とか、ちょっとそれについて考えてみたくなった、とか、人と議論をしてみたくなった、とか。そういうシーンが、その6割、7割くらいの方々の間に、増えてくるのではないか。
と同時に、それ以外の3割くらいの方々は、コロナ前と、あまり変わらない。そして、その6、7割の方々と3割くらいの方々の間に、意識的感覚的な溝が生じる。そういう「意識格差」のある社会になっていくような気がするのです。
そしてこの6割、7割と3割くらいの方々(便宜的な表現です)を隔てるものは、学歴や社会的地位や所得水準や、そういったものとはほとんど全く関係がないものとなるような気がします。
もし仮にそういった状態になったとして、それが良いことなのかそうでないことなのかは、今の私にはわかりません。簡単に「分断社会」と呼んで悲観すべきほどのこととも、現時点では思っていません。現在のアメリカのような危機的な分裂社会になるには、日本はまだ時間の余裕があると思います。むしろ、「意識格差社会」になったらなったで、それがどういう格差なのか、そこにはどういう意味があるのか、しっかりと考えるきっかけが生じると思います。外国のような二大政党政治の端緒が、日本にも生まれるかもしれません。そして、日本史上初めて、市民による哲学の時代が訪れるかもしれません。
もし、日本社会に住む方々の何割もが、現在よりも増して、社会ってなんだろう?公共ってなんだろう?社会のために、世界のために、日本に生きる市民である自分一人ができることって、なんだろう?と考えるような時代になったら、自分はそのとき、そういう方々にとって存在意義がある、と思ってもらえるような店になりたいと思って、自分の店をつくっています。
どうして飲食店が、という疑問はすぐに沸くかと思いますが、食べること、食卓を囲むこと、食材がどう生まれているのかを知ること、世界の食の事情がどうなっているのかを知ること、その他いろいろ、食に関わることは、社会構造にも、経済にも、国際関係にも、貧困や紛争にも、何にでもつながっています。人間の心理にも、たとえば連帯感にも、幸福感にも、虚栄心や虚飾心、利己心にも、深く関わっています。
私は世界が抱える問題を考えるために、それについて何かの行動となることを仕事とするために、料理人となることを決めました。私の中では、食は世界のあらゆる問題と間接的につながっています。しかしそれは包括的にとらえるにはあまりに複雑すぎて、学者のような学識が、いくつもの領域にわたって必要です。
と同時に、食の世界に関して、学者という立場からものを語ったとして、残念ながらそれが人を突き動かすほどにリアルな説得性をもって響くということは、考えにくいことでした。毎日食材と向かい合い、自分の手で命ある食材を扱って、それを食べる人間の顔を常に見ているリアルなプレイヤーとしての料理人でなければ、食の本当の核心に触れることはできないのだろうとも感じていました。
だから私は、その両方の世界をつなぐ、ハブ(結節点)となることができるような仕事をしたいと、それができるような店を作りたいと考えて、自分の店を構想しました。ただうまい店として有名になって、インフルエンサーに紹介されて、グルメ業界に影響のある著名人が毎日集まってくるような店になることは当店の目指すところではない、と過去に何度か表明していたのは、そういう理由です。
私は高校生くらいのときから環境破壊の問題に関心をもち、将来何かができないかと思っていました。外国の方や文化に触れる機会も比較的身近にあったので、世界という目線がいつもどこかにあったこと、そして何より人間とは何か、という問いを追及したくて、学生時代は思想・哲学史の世界に足を踏み入れ、教育哲学を学びました。素晴らしい恩師に出会えたことで、自分の世界は拡がりました。自分が専門とする視座をしっかり持ってさえいれば、世界のどんな問題でも考えることができる。政治哲学、経済思想、人権、貧困、紛争、環境問題、あらゆる領域に、自分なりの立ち位置から関わっていけることを知りました。
その後大学卒業時には、また全然別のことを考えたきっかけで、完全なるビジネスの世界に入りました。絵にかいたような外資系企業の世界で、世界最先端のIT技術を駆使して、世界中の大企業の経営改善や構造改革の手伝いをするという、とてもエキサイティングな仕事でした。ここでも先輩たちに恵まれたことで、ビジネスに関する多くの基礎的な重要なことを、高密度に学ぶことができました。
そして3年後に、自分の中にある核心に気づき、リアルなプレイヤーとしての料理人となることを決心しました。大きな決断でした。それまでのすべてを捨て去り、そして且つ全く見えない未来に向かう瞬間でした。
大変な時期はありましたが、しかし大変なぶんだけ、今になって考えれば、多くを学ぶことができた職人としての新しい期間でした。それまでの世界では決して学べなかったであろう大事なことを、たくさん学び、経験しました。
そして、職人として、料理人として、少しずつ経験を積むにつれ、できることが増えてくるにつれ、様々な分野の知識が増えてくるにつれ、料理人以前の知識も経験も、全く無駄でもなんでもなく、捨て去ったことでもなく、むしろ相乗効果的に、思考が厚みをもって拡がっていくことに気づきました。すべては、やはりつながっていたのです。一度土台を鍛えたものは、自主的な勉強で上に積み重ねていくことができる。歴史も哲学も宗教も国際関係も、マーケティングもファイナンスも組織づくりも、自分なりに勉強を続けてくる中で、驚くべきことにすべてが食——というより飲食業そのものと、力強くリンクしていきました。
だからこそなお今、というよりこれからの社会の中で、私は、新しい飲食業の形を作りたいと思っています。
折しも、「食」の意味の重要性は、これからさらに、増してくることになるかもしれません。単純にシンプルに、「毎日の食事」という意味において、です。
ひとつの理由は、このコロナ禍で、多くの人が、そのことを改めて考えたであろうこと。何もできない中での唯一の楽しみとしての食事であったり、外食という経験の特別な意味であったり、家庭内で食事を作ってくれるという仕事のありがたみと大変さであったり。
そして私が今ここで考えているのは、もうひとつ別の理由で、これからさらに、国際間においても、一国内においても、富の格差と偏在が、より顕著になっていくであろうということです。
富の格差の問題は、日本でも深刻化し続けています。ただ日本の場合、取り戻すことができないような危機的状況に陥るにはまだ時間がありそうです。その危機が来る前に、おそらく多くの人は、幸せってなんなんだっけと考え直すときが、きっとやってくると思っています。
お金を増やして高価なブランドものを身に着けて高級輸入車に乗ってという姿が人生の勝ち組であるなどというステレオタイプな幸福像は、もはやはるか彼方に消え去っています。私の世代より若い世代は、バブルも高度成長期も体感していません。ただ停滞のみの不安な空気感の中で育ってきた世代の多くは、自分なりの幸せの形を見出すという難しい課題を突きつけられて、模索しながら生きていかねばなりません。
私は、幸せと感じることができるために最低限充分な条件は、
「安心して眠れる場所があること」
「愛する者と一緒にいられること」
「子どもがお腹いっぱい食べられること」
だと考えています。
誤解なきよう言い添えておくと、これは「充分条件」であって、「必要条件」ではありません。幸せのために必要な条件、という意味ではありません。つまりこのうちのどれかを満たしていなかったらそれは幸せでない、という論理ではありません。
そうではなくて、どんなに苦しく厳しい環境に陥ったとしても、最低限この3つの条件さえそろっていれば、「あ、でも、意外とこれだけでも、幸せと感じられるのかもしれない…」と思えるための、「幸せであると感じるためには最低限はこれだけあれば充分」という「充分条件」です。言い換えると「この条件がそろっているならば、幸せと感じることができる」ということで、そろっていなくても幸せと感じることはできます。「必要条件」とは論理的に全く別ものです。高校時代の数学とか思い出されましたでしょうか。
もちろんこれは私の個人的で主観的な考えです。ただ実際に、最近では、結婚をして子供ができたのを機に、とか、有名大企業を辞めたり、とか、何らかの契機で、都市部から自然豊かな地方へ移住したり、就農したり、とかいうケースが、増えてきています。これも、飲食の仕事をやっているがゆえに入ってくる情報の一つです。自分にとっての幸せな人生の形を、それぞれが自由に考えて決める時代になってきているのだと思います。
移住する人が増えるという意味ではなく、必ずしも金をかせぐとか高価なものを買うとかいうことに幸せがあるわけではない、と考えたときに、「もっと豊かな毎日の食」という価値観を求める人は、これから増えるのではないかと思います。これが、先に言った「食の重要性が増してくる」ということの意味です。
しかし、「豊かな食」とは何か?わかるようでいて、案外わからないものです。ここにこそ、プロの存在意義があると思うのです。
料理のプロが、豊かな食って、自分はこう考えるのですが、どうですか?と提案して、それを体感した方が、ああ、これは豊かな気分になれる食だな、とか、うーん、自分の感性とは違うかな、とか、そういうことを判断する、そういう時代に、もしかしたらなってくるかもしれない、と思っています。いやむしろ、そうふうになっていっていいんじゃないかな、と思っています。
カンティーヌ時代には完全にそういう店づくりをしていましたし、デリ業態になってからも、わざわざひと手間かけてから召し上がっていただく商品を並べていたりとか、普通のお弁当商品を置いていなかったりとかしているのも、そういう考えの延長にあるためでした。
だから、自分の価値観や美意識や道徳観を反映した店づくりというのは、タブーでもなんでもなくて、むしろこれから日常的な食の重要性が増す社会となっていくのであれば、だんだん求められるような状況になっていくのではないかな、と考えています。さらにもしもこの先、先ほど言ったような「意識格差」が生じる可能性があるのだとしたら、なおさらです。
そしてそうなるのであれば、さらにもし私の店のあり方が受け入れてもらえるのであれば、私は、もっと店の数を増やしていきたいと考えています。事業として拡大していきたいと考えています。とんかつだけでなく、いろいろな食の形で、豊かな体験を提供する事業として。それが、HPで説明しているとおり「カンティーヌ」と名付けたことの意図です。
「おさかなカンティーヌ」「おやさいカンティーヌ」「ニクヤキカンティーヌ」…出してみたい料理はいろいろあります。デリ業態もきちんとした形でやってみたいです。サラダ専門店も、サンドイッチ専門店も、キッシュ専門店も、やってみたいことはたくさんあります。それもすべて、おしゃれな街や繁華街ではなく、今あるような住宅街エリアで、地域住民という「面」に対して価値あるような店をいろいろなところで拡げていきたいと構想しています。
しかしそのためにはまず何よりも、仲間が必要です。同じ方向を向いて走ってくれる仲間を見つけなければなりません。これが目下最大の課題で、それができるかどうかが、自分の器の試金石となると思っています。仲間を集めるためにはどうしたらいいか。従来の飲食業界の求人募集という考え方ではありませんでした。まず自分が、旗を立てること。そして、旗を振ること。今は誰もいなくとも、それから始めようと考えました。
今は、飲食の世界もかつてとは変わってきています。職人の世界でさえも、私が修業開始したときと比べてもだいぶ変わったように感じます。
飲食の仕事をしてみよう、料理を作る仕事をしてみたい、と考える若い世代も、また増えてくるのではないか、と淡く期待をしています。それは、食の重要性が増してくるかもしれない、となんとなく直観で感じるような世代がこれから出てくるかもしれないし、それ以前にも、数年前から、食という職業の社会起業家的な側面に関心を持つ若い世代が出始めてきている、という感覚があったからです。
しかし今までは、そういった関心から料理の世界に足を踏み入れようとする若い子たちを、受け入れる場所がなかなかありませんでした。どちらかというと、芽のうちに摘み取ってしまったり、踏みつぶしてしまうような環境のほうが多かったのです。そしてそういう子たちは、短期間で料理の世界から離れ、そして二度と戻ってくることはありませんでした。
それに、プロの世界でのそうした話とは別に、知人からこんな話を聞いたことがあります。
その方はかなり大きな飲食企業の事業部の長で、会社は6次産業の先駆者として注目されています。6次産業というのは、1次産業(農林水産業)、2次産業(製造業)、3次産業(飲食含むサービス業、小売業等)のすべてを一社内で一貫的な事業とし、それぞれを分断した形ではなくつなげて総合的、相乗的な活性化を図る取り組みの産業のことで、数年前から話題となっており、農林水産省でも推進しているようです。1×2×3=6か、1+2+3=6か、どちらかはよくわかりませんが、それで6次産業です。
その会社には近年では高学歴の新卒入社組が増えているということなのですが、その会社が運営している飲食店は実は居酒屋業態がメインで、「新入社員から、親御さんに『居酒屋に就職させるために大学に入れたわけじゃない』と言われて泣かれたと聞いた」という話をしてくれて、苦笑していました。この会社は、親に泣かれるような仕事をしている会社では決してないのですが。
私は、その親御さんについて、飲食をバカにするなとか、何も知らないくせに、とは、全く1mmも思いませんでした。そりゃそう思われるよな、という感覚でした。この飲食業界全般を見渡せば、親御さんの気持ちは、根拠のない偏見に基づいているというわけでもありません。私も飲食業界のウラをよく知る身として、そりゃそう思うよな、としか思わなかったということです。
時代は、まだまだそういう状況です。そういう事情で親に泣かれる時代という意味ではなく、そりゃそう思うよな、と飲食業界に生きる者自身から思われてしまう時代です。つまり親御さんに偏見や誤解があるということではなく、実態としてまだまだそう肯(うべな)わざるをえない、ということです。
だからこそこれからは、飲食の仕事は、料理の仕事は、親に泣かれるような仕事ではないんだ、ということを、自信をもって主張できるようなことをやらなければなりません。
若い世代から、誇りを持って、ここで働きたい!と思ってもらえるような仕事にすることは、食に関わる仕事のポテンシャルを考えれば、必ずできると思っています。大学を卒業して料理に関わる仕事に就きたい、と考える子たちや、調理師学校を卒業してプロの料理人としての技術を身に着けたいけれど、限られた世界のための高級料理を作るのではなくて一般社会のためになるような一般社会向けの料理を作りたい、と考える子たちの、受け皿になれることを目標としています。
私は、こういう目指すところをもって、とんかつカンティーヌを運営しています。
最初に書いた通り、このことをご存じでなく、ただシンプルに買い物に来ていただけるだけでも、充分に光栄です。しかしこのことをご存じの上で、なお店に来ていただけたなら、そして店に来ることで、何かこういったことに関連するような事柄に関する意識が、少しでも満たされたり、関心が広がったりするきっかけが作れるなら、なおいっそううれしいことです。
地球規模のような大きな問題だけでなく、身の周りの子どもの貧困や孤立、虐待、教育格差の問題、LGBTや女性に対する蔑視の問題、障害を持った方々、その他あらゆる意味での社会的マイノリティや社会的弱者の権利、それらすべては、今よりもっと広く認知され保護されなければならないと私は考えています。
環境の破壊と気候変動の危機はもはや取返しのつかないギリギリのところまで来ているという科学的知見を信じており、現在の人間の生活の一部分を犠牲にしてでも、世界全体で協調してそれに取り組まなくてはならないとも考えています。
そして生態系の崩壊の危機と、人間以外の多くの生物の生命や家畜の福祉(アニマル・ウェルフェア)も、もっと重要視され改善されなければならないと考えています。
そしてここが私の問題意識の根幹をなすところですが、上のすべての課題に対処するために、価値に関する議論を見失って先鋭化し続けた資本主義の市場原理主義と拡がり続ける格差は、人の手によって、歯止めをかけられなければならないと考えています。
私は学者ではないので、本当に専門的に正しいことを語ることはできません。あくまで自分が個人として学んでいる中での自分の意見しか持ちえません。しかしそれがもし、誰かが何かを考えるきっかけになったり、議論する材料となったりするのならば、それも意味があるのではないかと思っています。
みんなが100%の意識を持っている必要はありませんし、そんなことは不可能です。でも1%の意識を持っているみんなが少しずつ考えを交換したり、膨らませたりするきっかけが社会の中に増えていけば、社会は変わっていくはずだと信じています。それこそが本来の、自由な民主主義の姿です。
要らなくなった衣類を何か社会的2次利用できるように処分したい、とか、ちょっとエコな電気会社に変えてみたい、とか、寄付をしてみたい、とか、ほんのちょっとでも考えたことがある方は、けっこういらっしゃるのではないかと思います。そういうことを気軽に話題に出せる社会になっていけば、いろいろなことが一気に変わっていく可能性もあります。当店内では、そういう会話はいくらでも歓迎です。お聞きいただければ、私からもそれなりに参考情報をご提供することもできます。
そんな会話の輪が社会の中に少しずつ広がっていくようなきっかけとなりうる飲食店、「カンティーヌ」であれたらいいなと思います。
長い心の不調から脱することができて、思い切って長期休業を設けて本当に正解でした。
ここまでお読みくださった方には、本当に心から感謝を申し上げます。私の計算ではここまでおそらく30分以上かかったのではないかと思います。
9月3日より営業開始いたしますので、なにとぞどうぞよろしくお願い申し上げます。
(ただ、ここまできて最後に申し訳ないのですが、休み明けにすぐにはすべての商品がそろわない可能性があります。どうかご了承ください。)
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2021.8.5
今年もまた8月がやってきました。本当にあっという間に、1年は巡ってきます。私にとっては正月に次いで、8月は1年の一巡を感じる月です。
昨年もこの同じ時期に書いたことなのですが、8月は私にとって戦争月間です。そして明日は広島の原爆の日。その3日後は長崎の原爆の日。76年前のあの戦争のことを考え、そして今我々が在る姿を考える月です。
と言ってもそのことに関しては昨年かなり長い文章にしてすでにしたためたので、今回また同じような話を繰り返そうとは思っていません。
昨年の戦争月間に関する投稿はこちら(かなり長いです)
とりあえず今年も、水木しげるの戦争漫画は店内に置いておきますので、ご興味ある方はご自由にお読みください。ご希望でしたら貸し出し可能です。
今年の4月くらいからずっと考え続けてきていたことがあるので、それについてこのタイミングで少しお伝えしておいたようがよいかと思っています。少しという分量では全くないのですが。
これは今までのお知らせの中にもいくつかあった伏線(と思われていたとは思いませんが)と関連していることなのですが、どこかでははっきりと明らかにしなければならないことなのではないかと悩んでいるうちに、意外とけっこう時間が経ってしまいました。
4月の前半、開業2周年記念のかなり長い文章を書いたあと、それに続くような形で、それまでとは毛色の違う、私的で感傷的なことを書いていたこと、それに、最近になって、プラバッグを全廃止して手提げ袋を1枚50円の紙袋のみにしたこと、と関係しています(本来は紙袋の手提げは、法的な有料化義務の対象外です)。
とはいえ、この話、書き始めたら際限なくなりそうなので、まだ導入部分だけにとどめておきます。このお知らせ掲示板、HP上での店からのお知らせとしてはあまりにも長すぎる文章が多すぎる尋常ならざるお知らせ掲示板なので、ブレーキかけられるときはかけられるうちにかけておいたほうがよさそうとは自分でも認識しています。
と思っているのに、これ以下、異様に長いです。めちゃくちゃ長いです。しかも、ありがたくもすべてお読みになられたとしても、「で、つまりどういうこと?」と思われるような形で今回は(導入部分は)終わっています。
このことは、この店がこれから先も続けていけるのかどうか、あるいは続けていくべきなのかどうか、それを自分自身に対して問わなければならない難しい岐路にあることを意味していると思っています。
別に突然「やーめた」といって閉店するなどということを考えているわけではありませんが、自分の責任で事業を始めたということは、常に、は言い過ぎとしても、折に触れてこういうことを考え続けていかなければならないということを宿命づけられるものなのではないかと感じるようになりました。自分の事業は、社会にとってなんのために存在しているのか。何のために、この社会の中に存在あらしめようという意志を持って行っているのか。それが自分の信じる理念の追及と実践であるならば、それは本当に、望まれていることなのか。
この答えが単に、「とにかく自分が金を儲けたいから」だけであるならば、それはそれでシンプルで、悩む必要も、存在の意義を考える意味も、ありません。手段も理念も、美しさも道徳性も倫理観も、関係ありません。自分がやっていることにはどのような目的があるからこそ、どのような方々に、どのような価値を提供すべきという使命があるのだ、などという考え方は、する必要がありません。ただ金を儲けるための、最短で最大効率的な道を考え、たどればいいだけの話です。
とにかくこのコロナ禍は、長すぎました。昨年の4月の時点で、これは長引くことになるぞとは直観的に確信しましたし、それこそが、飲食業を休止して業態そのものを転換してしまうという覚悟につながったのですが、それにしても、「良い方向に向かう兆しが全く見えないまま」これほど長い期間が続くとは、さすがに想定していませんでした。
今、8月5日時点において過去最大級に感染が広まっていることは、日本でデルタ株感染が見つかった瞬間から予期していたことでしたが、これほど予想通りに最悪の結果を招くような政治判断が積み重なったことは、もはや失望とか批判とかの感情を超えて、絶望に近いものがあります。
もうだめだ、お金が尽きる、やっていけない、という絶望ではありません。自分自身の個人的な利害や損得に関しての絶望ではありません。自分自身の個人的な損得に関してだけのことならば、当店のような小粒な店は、全くもって恵まれている方です。都からの時短営業等要請の協力金支給の要件(それなりにいろいろあります)は、現行の営業形態をとっているだけで嘘一つつかずに完璧に満たしているので、それがもらえるだけで、自分自身は当面は十分生きていけます。テーブルや椅子やコーヒー提供など、少しでもお客様の居心地をよくするための投資資金としての余裕さえあります。昨年に比べると、季節商品などは少し値下げすることができたくらい、原価率にも余裕を持たせられるようになりました。もう資金がもたない、というサイズの店は、本当に気の毒だと思います。真面目に嘘をつかず真摯にやっている店であればあるほどダメージは大きく、不条理この上ない飲食業界の現状です。
これはただの予感にすぎませんが、そしてそれが単なる予感であって大ハズレとなる杞憂で終わってくれることを願いますが、これから半年間くらいの時間をかけて、日本の社会が、小さな混乱に陥るような気がしています。
とは言ってももちろん暴動や略奪といった暴力的な社会混乱という意味ではなく、あくまで「小さな」混乱です。しかし同時に、小さいがゆえに、表立って危機的な様相を帯びないまま、なんとなくいつのまにかいろいろなものが少しずつかみ合わなくなり、統制が取れなくなり、コミュニケーションがうまくいかなくなり、ものごとが悪くなっていく、そして解決策が見いだせないまま――それはなぜなら、その解決を阻害する一番重要なボトルネックの部分だけが、なぜか頑として変わらないがゆえに――その傾向が悪循環となって、だんだん収集のつかない方向性に向かっていく。
そんな種類の社会的disorder…混乱です。混迷のほうが正しいでしょうか。
とまあ、なんのことを言っているのか読んでおわかりかと思いますが、日本でのコロナ対応のあり方が、結果として、全体として、全く良い方向に向かわないままに、むしろだんだん悪くなっていきつつある、というこの現状そのままの傾向が、日本社会全体にまで侵食するように拡がっていくのではないか、という予感です。コロナ対応というだけの意味ではなく、「社会全体に」です。
なぜそのように予感するのか、なぜコロナ対応のアナロジーを日本社会全体にまで敷衍して考えるのか。それは、私の目には、このコロナ禍の対応のあり方こそが、日本の過去30年くらいの歩み――歩みというよりは停滞、もう少し言うならば相対的な後退――の縮図にように見えてならないからです。
ここで私の個人的な社会分析論を繰り広げる必要もないので詳細は省きますが、とにかく危機に対する対応力、それも想定外の危機に対する対応力、というのは、組織の地力、実力そのものだと思っています。会社でもなんでも、個人であっても、同様と思います。
私見として特徴的だなと思っていることは、最近の日本の場合、「急激に悪化せず、しかし少しずつだんだんいつのまにか、劣後する方向に向かっていっている」という傾向があることです。30年前にバブルがはじけたときくらい以来のことを考えると。
これが、「危機が起こったとき、全体のトップとしての最善の監督、統率はできていないが、構成員がそれなりに優秀であるため、皆が独自に全体のことを考慮・配慮した行動をとる結果、一気に瓦解せず、ゆるやかに崩れていく」という組織の特徴であるように思っています。
私は自分の人生的な特徴として今までかなりたくさんの組織に所属してきましたが、個人的な経験的にも、組織の大小を問わず、この原理はだいたいいつでもどこでも当てはまるように感じています。しかし全体のトップの監督、統率が正しくない限り、必ず、少しずつ、悪くなっていくのです。構成員の努力だけで、全体が改善することはありません。おそらく企業でも同じなのではないかと思います。
話を戻すと、今私が感じている懸念は、日本社会において大多数を占めているであろう、これまで「それなりに優秀な構成員」であった国民が、いっせいに、「独自に全体のことを考慮・配慮した行動をとる」ことをやめつつあるような状態に移行しているのを感じることです。
そしてそういう現象は、たいていの場合、その構成員自身が悪いのではなく、構成員が「トップ」に対して本格的に信頼を失ったときに、起こり始めます。どんな組織でも、構成員全体がもとからとんでもなく自己本位、利己的であるということはめったになく、突然そのように変貌するわけでもありません。信頼のレベルが一定の線を下回ったとき、それは集団発生的に連鎖し始めます。会社でバラバラと退職者が出始めるときと一緒です。
そういうわけで、これから半年~1年くらいの間に、だんだん、日本社会が、今までと少し違った様相を見せ始めるのではないかという予感がしています。劇的に悪化するわけではない、しかし着実になにか良くない方向に向かっているような気がする、それも、東日本大震災のあとのような、困難にも全体で一緒になって立ち向かっていこう、立ち向かっていける、というような意思や一体感を伴わない、なんとなく何かがバラバラになっていこうとしているようなdisorder――混乱、混迷――の中にあるような不安な予感が支配するという、様相です。
もしそうなってしまったら、それは過去のような、「構成員が独自にがんばっていつつも少しずつ劣後してゆく」状況とは異なる、新たな段階の「悪化の仕方」です。それまで全体に散らばっていた、しかし構造的には同じ問題が、少しずつ凝縮していき、一点に収斂し、あるレベルを超えたところで、違う形となって違う方向に噴出する。この1年間のコロナ対応の結果として至った現在の状況は、まさにこの現象の端緒のように感じています。
この1年間、それまで明白には見えていなかった、いろいろなところに散らばっていた問題の数々が「見える」ようになり、見えたからといってそれが一つ一つ解決されていくのではなく、それぞれが頑固に絡まりあって根深くなり、さらなる問題となり、それをごまかそうとし続けた挙句にいよいよのっぴきならない状況にまで凝り固まり尽くした――現時点での感染爆発と、事実上の医療崩壊の局面です――結果、問題が「パンデミック対応」という社会・公共の領域から、トップに対する不信・諦め・反抗・あるいは投げやり、といった、社会心理の領域に移行しつつあることを、今感じています。これは、問題の種類こそ違えど、歴史的遷移としては、オバマ政権からトランプ政権に至った、アメリカ社会の移行の仕方に似ているところがあるように見えます。
そんなわけで、もはや何の話をしているのか?と思われそうですが、話を巻き戻してまとめると、これから、どんな形になるかはわかりませんがコロナ禍が収束に向かうかもしれない半年以上数年未満くらいの間に、日本社会が少し目に見えないところで変貌するかもしれないということと、それに伴って飲食業界にも変化が起きるだろうと私が予感している、ということです。コロナ前と同じ社会、同じ飲食業界には、戻らないような気がしています。
そしてそうなったときのことを見据えると、自分が店としてやろうとしていることは、本当に続けていけることなのか、続けていくべきことなのか、を今から考えておかねばならない岐路に立っていると考えている、ということです。
結局それは何のことなんだ、という話が、実は本題なのですが、これを、今のタイミングで、明らかにしておいたほうがよいのではないかと考えているので、それをまた夏季休業中にお知らせすることと思います。
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2021.8.2
8月の営業情報について、追加情報含めて改めてお知らせいたします。少し変則的になります。変則になればなるだけお客様にとってはわかりづらくなるので大変申し訳ありませんが、8月の特殊事情によるものとしてどうかご了承お願いいたします。
8月9日(月・祝)は、かつての従来のルールどおり、祝日のため臨時営業いたします。
そして翌10日火曜日を代休といたします。
そしてこの週は、12日(木)を臨時に営業いたします。
そして翌週の16日(月)から、9月2日(木)までの期間を、少し長めですが夏季休業とさせていただきます。
本ページの一番上にある「i」(information)マークの隣に、カレンダーを貼り付けておきます。クリック、タップしていただけると、カレンダーの形でポップアップが出ます。
夏季休業に入る直前は、冷蔵庫の中のものを空っぽにするために、いろいろなものがおまけ盛りになる可能性が高いです。
なお、お盆期間にもし特定の商品をご希望ということがお決まりの場合は、なるべく早めに事前ご注文をよろしくお願いいたします。(事前ご予約の制度についてはHP内「ご予約・ご注文」のページをご参照ください)直前での商品キープは基本的にはいたしかねますので、ご了承ください。
あと最後に全然別件なのですが、こぶたカフェドリンクの単体販売を開始します。出窓にこっそりメニュー表が貼ってありますので、窓からお声がけいただければ、窓越しにお渡しいたします。
ただ、価格は店内でのお待ちの間用のものとは異なっておりますので、ご確認をどうぞよろしくお願いいたします。
ドリンクのみの販売価格
・コーヒー(ホット/アイス)レギュラー 200円 ラージ 250円
・こぶたラテ(ホット/アイス)レギュラー 300円 ラージ 350円
・本日のフレーバーラテ(ホット&ラージのみ) 380円
ドリンクのみのご用意は作業をほとんど中断されないので、店内で他のお客様ご対応中であっても、お声がけいただければ(割り込みみたいに見えますが)同時並行してご提供が可能です。
(これは店内でも同様です。先のお客様のご対応中であっても、ドリンク類はいつでもおっしゃっていただければすぐにご提供いたします。)
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2021.7.29
今週末も、先週の4連休に登場しました夏メニューまた販売いたします。というかこれらは夏の季節商品なので、夏の間は基本的にだいたいご用意しておく予定です。
ラム肉のスパイシーハンバーグのファルシ(肉詰め)は、今週はズッキーニに替わってナスとなります。普通の黒いナスではなく、緑ナスという、翡翠色が美しい大きなナスです。果肉が密に詰まっていて、加熱すると甘くなってとろっととろけるタイプのおいしいナスです。
あとこちらも先週の4連休に登場した、カンティーヌ業態時代からの当店夏の定番ですが、アユのコンフィのベーニェもまたご用意します。塩焼きが一般的なアユの、新しいおいしさをぜひ味わっていただけたらと思います。
ところで今夏は、大型の夏季休暇をとることを予定しております。
8月のお盆のあと、おそらくは16日(月)以降くらいから8月いっぱいまでの2週間程度、休業にすることを考えております。近日中に確定し、改めてお知らせをいたします。
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