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店主の思い

2019年 開業​時の思い

この独立開業に至るまで、本当にいろいろなことがありました。

この店には、私(店主)の半生に亘る思いの全てが詰め込まれています。

幼少期からの「食」に対する関心、

おいしいものを食べられるということの幸せの、

人間にとっての本源性への興味。

大学時代に没頭していた、人類の歴史を紡いできた哲学・思想の歴史、

卒業後に足を踏み入れた、目を$マークのようにして

利益を追求するビジネスのフィールド、

 

そしてそこから転身して、

人生を賭けようと決意した、本物のプロの料理人の世界・・・

私は頑固で偏屈で思い込みが強く、

権威におもねることを何よりも嫌う、

決して万人受けしないタイプの人間ですが、

それでも、自分が正しいと信じて突っ走ってきたこれまでの人生の

結実の一段階として、このお店を通じて自分の哲学を形にすることが

できたことがうれしくてなりません。

コンセプトの全てに通底するのは、

”時代に対するクリティーク(批判)”

 

です。

「批判」という言葉は、日本語においてはネガティブなニュアンスがあり、

「他人の批判ばかりする」などのように、良くない意味でつかわれることの

ほうが多いです。

しかし本来の、日本語の「批判」という単語に翻訳される以前の

もともとの「クリティーク」という外来語は、決して他者を悪く言うことや

欠点を論(あげつら)うという意味の言葉ではなく、

客観的に分析をして、よりよくなることを目指すための

建設的な批評・問題提起という意味であり、日本語の「批判」という言葉も、

本来はこの意味であることが正しいはずです。

政治の世界で「野党の仕事は与党を批判すること」という言説が

ありますが、意味をはき違えて、非建設的な与党の揚げ足取りばかりに

いそしんでいる一部の野党は、この意味で全く健全な批判者であるとは言えず、

日本語の「批判」という言葉がとても浅薄に理解されていることの証左のように思えます

時代は相変わらず混沌としています。

インターネットの登場によって「世界はすべてつながることができる」かのような

夢が生まれ、それはスマートフォンとSNSの席巻によって、「誰もが瞬時に

どこまででも手を取り合える」かのような、メリットだけを誇張した

幻想にまで膨らみました。

しかし実際は、分断された価値観、細分化するグループ化と村社会化、

匿名の暴力性、衝突する文化と歴史、自己以外への無関心、拡がるばかりの

経済的・教育的・文化的格差など、世界と人類、国家と社会を取り巻く問題は

今でも枚挙にいとまがありません。

自分が興味のある「情報」だけに恣意的・部分的にアクセスし、切り取り、

興味のないものには触れることなく生活を営むことができる

便利なツールが今や事実上の社会インフラとなったことと無関係ではないと

考える立場を、私はとっています。

 

メリットがあるものには、ほとんどの場合デメリットも付随していますが、

多くの場合、特にますます加速化するこの現代社会においては、

手っ取り早くメリットだけを優先して、その先に何が起こるかを予見しないまま

ことを進めてしまうという趨勢が、ますます強まっているように思えてなりません。

「メリットも大きいけど、デメリットも大きい可能性があるから、

すぐに飛びつかないで、よく考えてみよう」という、

健全なクリティーク(批判)が欠如しているように思われるのです。

昔、私の好きだったMr.Childrenというミュージシャンの

「終末のコンフィデンスソング」という歌の中に、次のような歌詞がありました。

さあ 油断して渡ろう

慢心して進もう

文明の恩恵の上を

たまに不吉な夢を見るんだよ

走っているのに 進まない

ひょっとしたら 実際に起きてることを

夢の中で知らせるメタファーかも

Mr.Childrenの桜井和寿さんは、ポップミュージックを通じて、社会の、世界の

問題と向き合い、時に批判し、発信を続けています。

料理とは、「理(ことわり)を料る(はかる)」と書きます。

食材と自然と生命の神秘が、そこにはあります。

太古の昔、人類が家族や仲間という文化的共同体を持つようになって以来の、

「共に食事をする」という行為に込められた意味は、今でもそこに

真実としてずっと秘められています。

そして現在、グローバルに交錯する需要と供給のネットワークの中に、

絡めとられ、ひずみが生じ、しかしもはや抗うことのできなくなってしまった

不均衡が蔓延する世界における、環境破壊、貧困、紛争など、多くの問題の背景に、

「食」は関わっています。

人は、自然を、生命を食べなければ、生きていけません。

人は、物質的なモノをいくら手に入れても、決して満足感や幸福度が

飽和することはない一方で、おいしいものを食べたという喜びと

幸福感は、どんな時代でも、どんな地域でも、おそらく変化はありません。

どんなに太古の昔でも、どんなに未開の原始社会でも、どんなに貧しい国でも、

生まれたばかりの赤ちゃんでも、いまわの際を迎えようとしている人でも。

そして、人間だけでなく、あらゆる動物たちでも。

私は、料理を通じて、レストランという仕事を通じて、

社会と、人類と、世界の問題と向き合い、戦っていくつもりです。

それが、私が料理人になろうと決意した理由です。

とんかつカンティーヌゆめみるこぶたが、

何がしか社会にとって意味あるものとなれるよう、

​毎日を一歩一歩歩んでいきます。

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