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「カスハラ問題」について考える① カスハラ問題は、接客・サービス業という「業界」、あるいは一部の非常識な「個人」、という局所的な問題ではなく、日本社会の構造の現われと言える問題なのではないか

ここ最近(1~2カ月)で、「カスハラ」(カスタマーハラスメント)という言葉を聞いた、目にした、という方は、けっこういらっしゃるのではないでしょうか。


普通の社会面でのニュースだけでなく、ビジネスの世界、あるいは行政においても、この「カスハラ問題」に対してどう考えるべきか、どう対処すべきか、という言説が、急激に増えてきたように思います。


とはいえ、この問題は、小売・飲食・宿泊業などの接客・サービス系の「業界問題」であって、自分とは特に関係はない、と捉えられている方が、大半ではないかと思います。

現実問題、日常問題としては、今のところ、インパクト的にはそのくらいにしか認識されていなくても、当然だろうと思います。


しかし…私は、自分自身が直接の当事者である飲食業の人間であって、


「だから、自分が毎日触れている問題として暴露する」


というよりも、


「だから、当事者でしか見えない、わからない側面から、当事者でしか分析しえないことがある」

(接客業・サービス業・飲食業を経験したことのない人間がいくら問題を提起し、語ろうとしてみても、現場を知らないがゆえに、抜け落ちてしまっている視点がある)


という見地から、


この問題の根っこと拡がりは、実は思われているよりも深く、広いのではないかと考えています。


つまり、放っておくともっと大きな問題にまで、これから拡大していく可能性がある、ということであり、


あるいは、ここ数十年、停滞もしくは相対的後退を続けている日本の現状の、その原因の一部でもある、と考えている、ということです。



ところで、その「大きな」本題に入る前に、


今日、yahooニュースを見ていて、「またか…」と目に留まった記事がありました。(2024年6月24日)

いつ消えるかわかりませんが、リンクです。

これは単純に、卑近な「飲食業界」の話です。



この類の業界ニュースは、実はけっこう多いです。飲食関係の人間でない限り、おすすめ記事として上がってくることはないと思うので、あまり目に留まらないかもしれませんが。


これは「迷惑客」の話であり、こんな客はうちには来ませんので、当店とは直接は関係ありません。

単に、現状として、飲食業界にはこういう事態がある、という前提知識であり、今後の話の布石としてお読みいただけたら、と思います。


ところでここでひとつ意識しておいていただきたいのは、これは、「カスハラ」客とは、別の問題ということです。「カスハラ客」と単なる「迷惑客」とは、必ずしもイコールではないのです。


そして「カスハラ」「迷惑客」の中にも、人間性がすでにおかしい人物か、それとも自己中心的な思考回路の傾向がある人物というだけか、あるいは事業者側に対する配慮や尊重が足りない人物というだけか、いろいろとグラデーションがあります。


つまり、これら「カスハラ」や「迷惑客」をめぐる問題じたいが、きちんと定義されておらず、分析的に整理・構造化されていないのです。その状態で、すぐに「対処策」に飛躍している言説が、今のところは大半なように、私には見えています。そこがまず、問題だと考えるのです。



現在、私の店に日常的にいらしてくださっているような、常識的で良識ある皆様にとっては、想像もつかない、そんな光景見たことない、どこか自分とは関係ない一部で局所の異世界の話でしょ、と思われるかもしれませんが、


「飲食の仕事」に携わっている人間というのは、日々、こういうこととの格闘を続けているのです。私も、続けてきたのです。飲食だけでなく、接客・サービス業に携わる人はみな、日々こういうことが起きる可能性と隣り合わせであり、日々こういうことで悩みやストレスを抱え続けているのです。


私は独立して自分の店を立ち上げるにあたっては、こういうことは起こしたくない、こういうことが起こりうる店にはしたくない、という強い思いがあったため、なんとしても自分の店と、来てくれる「普通の」お客様を守る、という意志で、店づくりをしてきました。


だから、何も事情を知らない方からはとても「強硬」に見える店のルールや仕組みを、周囲の城壁や堀として、張り巡らせています。その城壁や堀を見ただけで嫌気がさして離れていってしまう、離れていってしまった、多くの方がいるかも、いたかもしれない、ということを、自分で認識していてもなお、です。


(続く)

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