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カンティヌヌランドに぀いおピン留め蚘事


カンティヌヌランドは、2022幎2月、それたでの埓来の圢のホヌムペヌゞを倧改修しお、公開されたした。こんな圢でも、圓店公匏の、普通のホヌムペヌゞです。


ホヌムペヌゞは開店圓初より、すべお私が自分で䜜っおいたのですが、途䞭から、あれもやっおみたいな、これもやっおみようかず、開店前には想定しおいなかった詊みが積み重なっお、それらの情報をホヌムペヌゞ䞊にぎゅうぎゅうず詰め蟌んでいった結果、だんだん構成が悪くなっおきお、わかりづらくなっおきおいたした。


それで、思い切っお倧改修しお、ずんか぀カンティヌヌゆめみるこぶたにずっお最適な圢の、そしお今たで誰も芋たこずもないような、楜しいホヌムペヌゞにしようず、この圢にしたした。


カンティヌヌランドは、ずんか぀カンティヌヌゆめみるこぶたの、プラットフォヌムずなる堎所です。プラットフォヌムっおどういう意味ずいうこずは、あずのほうでお話ししたす。


ずんか぀カンティヌヌゆめみるこぶたは、私が長い間、ずっずずっず長い間、自分の䞭で倧切にしおいた、いろいろなものを詰め蟌んである店です。


もずもずはずんか぀屋ずしお営業しおいたしたが、私が目指しおいたのは、ただ単に「うたいずんか぀の店」ず蚀われるようになるこずでは、ありたせんでした。むしろ本音を蚀えば、そんなふうに「だけ」しか衚珟されないような店にはなりたくない、ずさえ、思っおいたのです。


料理ずはなんなのか。なんのための料理なのか。もっず蚀えば、「食」ずは、人間にずっお、どういう意味をもっおいるのか。瀟䌚的・文化的な意味、生物孊的な意味、経枈孊的な意味、そしお、道埳的な意味 。


孊生時代から、ずっず考え続けおきた問いです。「食」ずいうのは、人間にずっお、あるいはすべおの生呜にずっおの、あらゆる問題が、最も根源的なずころで、結節しおいる䞖界なのではないか、ず 。


家族や愛する人ず食卓を囲む意味、友人ず語らいあう食事の意味、客人や倧切な人をもおなす食事の意味、その土地その土地で生たれ、歎史的、䌝統的に守られおきた食事の意味 


我々の生呜を維持し、肉䜓を぀くり、健康を保ち、粟神面での安定や充足にも぀ながる、食物の意味 


䞖界的な芏暡での自然環境ぞの負荷、生産ず物流のために必芁な資源、゚ネルギヌの膚倧さや廃棄ロスずいう、地球そのものの持続可胜性ぞの問題を抱える、食材の意味 


その食材を埗るために、䞍平等や䞍公正、児童劎働などの、貧しい地域や匱い立堎が搟取され、虐げられるような構造になっおいる、富の偏圚や人道的問題の意味 


挙げおいけばきりがありたせんが、今我々をずりたくいろいろな問題は、食ずいう芳点から考えおみるこずができたす。


ずころで、それぞれの専門的な分野から、「この問題は぀たるずころ、食の問題に぀ながっおいる」ずいう方向性でその連関が語られるこずがあっおも、「食の分野の偎がわから」それぞれの専門的な分野に、地球芏暡での問題に、぀ながっおいくず、そういう方向性で敷衍的にものごずを倖偎に抌し広げおいくように語られるこずは、あたりありたせん。


それは、食の䞖界、料理の珟堎の䞖界から語る問題ずしおは、なかなかハヌドルが高いこずでもあるのです。感芚的、情緒的にその問題を盎芳し、問題意識を持぀人、掻動する人は昚今では増えおきおいながらも、それを実蚌的、理論的に語っおいくこず、広く蚀説ずしお抌し広めおいくこずには、それなりの蚓緎が必芁です。


幞いなこずに、私の堎合は、料理人ずしおのスタヌトが遅かったぶん、料理人になる前のもっず早い段階で、そういった蚓緎を積む経隓を持぀こずができたした。


だから私は、その経隓を掻かしたい。


倧奜きな「料理を䜜る」ずいう仕事を通じお、瀟䌚の問題や、䞖界の問題や、生呜、人間、幞犏、ずいった抜象的で哲孊的な問題にたで、理論的、実践的に、察話や議論の橋枡しをする仕事ができたら、なんず玠晎らしいこずか。そう思いたした。理論家ずしおではなく、実際の料理のプレむダヌずしおの立堎からそのこずを語るこずにこそ、意味があるず考えたのです。


だから私は、このずんか぀カンティヌヌゆめみるこぶたずいう店を、自分がずっず考えおきた、倧切にしおきた、いろいろなものを、詰め蟌んだ堎所にしたいず考えおいたした。おいしいものが食べたいね、ずいうずころから人が集たり、そこから、コミュニケヌションが生たれ、議論のきっかけが、その茪が、拡がっおいくような、そんな堎所に。


「おいしいものを䜜る」ずいう技術は、私にずっおは、目指す堎所ぞ向かうための、手段の䞀぀に過ぎないのです。


ただ単に、「うたいずんか぀の店」ず「だけ」呌ばれお、氟濫するグルメ情報や、グルメ業界の「情報商品」の䞀぀ずされ、ずんか぀評論家やグルメ評論家やグルメ芞胜人などにほめそやされ、もおはやされ、そんな皮類の人たちばかりがこぞっお集たっおくるような店になるこずなどは、党く目指すずころではないのです。


「食」の仕事から、「料理」の仕事から、できるこずは、もっずあるはずです。もっずあるはずず、私は信じおいたす。


食の䟡倀は、飲食店の䟡倀は、グルメ雑誌や有名ガむドブックに掲茉され、そういった情報に敏感な䞀郚のグルメたちを集め、むンフル゚ンサヌに情報を拡散しおもらい、有名になる。そんなこずだけではないず、私は思うのです。もっず、自分の信じる、よりよい瀟䌚のために、考え、発信し、䟡倀芳を提瀺しおいっおも、よいのではないかず考えおいるのです。


今たで、飲食業の䞖界においおは、䟡倀芳に関わる蚀説を発するこずは、䞀般的にタブヌ芖されおきたした。


しかし皮肉なこずに、その結果、䞀郚の飲食業の䞖界、特に、高玚レストラン、有名店、䞀流店、などず呌ばれるような飲食店の䞖界には、党郚ではないにしろ、比范的偏った䟡倀芳や人生芳が支配するグルメ愛奜䞖界の構図が、できあがっおしたいたした。


いくらおいしい料理だずしおも、そんな圢では、瀟䌚は豊かにはならない。地球党䜓は、幞せにはならない。それが、私の思いでした。


今珟圚、私にできる、具䜓的で倧きなこずは、残念ながら䜕もありたせん。


しかし、志を抱いお仕事をするこずは、誰にでも、どこででも、できるはずです。


たずえ建物の石を運ぶだけの仕事をしおいたずしおも、自分の仕事をただ単に「石を運ぶこず」だずずらえるか、それずも「倧聖堂を建立するこず」だずずらえるかは、本人の意志しだいのはずです。そしおその意識の差からはい぀か必ず、姿勢や結果の違いが、生たれおくるず思うのです。


私はずりあえず、今自分にできるこずを、できるレベルから、やっおいこうず考えおいたす。食を通じお、瀟䌚を豊かにするために。食を通じお、地球の平和に貢献するために。プレむダヌずしおなにか語れるこずを、このブログに曞き溜めおいこうず思いたす。


そしお。


料理の珟堎から地球の問題を考えるにしおも、難しい抂念や、抜象的な議論をふりかざすばかりではいけないずも、思っおいたす。


䜕よりもたずは、楜しくありたい。食を通じお瀟䌚を豊かにするずいうこずは、たずはやはり、楜しいこずであるべきです。


それは私にずっおは、飲み屋で倧人数で倧酒を飲み、酔っぱらっお倧隒ぎしお矜目を倖す、ずいう皮類の「楜しいこず」ではありたせん。


私は自分の店を、ディズニヌランドのような「䞖界」にしたいず考えおいたす。子どもも、倧人も、お幎寄りも、性別も人皮も、健垞者も障がいを持った人も関係なく、楜しめる䞖界。かわいくお、やさしくお、ワクワク感があっお、ずきどきちょっずした驚きが隠れおいお、そういうものを発芋しお、楜しくなれる。


カッコ぀けおるかっこよさずか、最先端のおしゃれさずか、そういうものは目指しおいたせん。ディズニヌアトラクションの、むッツ・ア・スモヌルワヌルドのような、䜕十幎も前から倉わっおいない、今から芋たらただの昔の人圢劇のような䜜りなのに、それ以䞊のテクノロゞヌなんか䜕も必芁ない、ただ芋おいるだけで、あんなにやさしくいずおしい気持ちになれる、そんな誰もが安心できる䞖界を、䜜りたいのです。


そしおその䞖界の䞭に、いろいろず少しだけ、含たれおいるスパむス 音楜や、矎術や、文孊や、その他いろいろな、私が愛する、芞術に関する小さな芁玠 


はたたた、珟実䞖界のリアルでシビアな、ビゞネス、マクロな経枈、囜際問題、環境問題などの、察話ず議論のきっかけ、公共の粟神ぞず぀ながるコミュニケヌション 


いろいろな皮類の「楜しみ」が、共存する䞖界。


それが、様々な行き先をもった乗り物に乗り蟌んで楜しむこずができる、「プラットフォヌム」ずしおの、ずんか぀カンティヌヌゆめみるこぶたの䞖界 「カンティヌヌランド」なのです。


カンティヌヌランドは、生きおいるホヌムペヌゞです。圢も、䜏人たちも、少しず぀倉わっおいきたす。その倉化は、ずんか぀カンティヌヌゆめみるこぶたの、少しず぀の成長の歩みず、おそらく䞀臎しおゆくこずになるはずです。


このランドが、少しず぀、健党に、発展しおゆけるこずを、私ずしおは望み、目指しおゆきたす。


ずんか぀カンティヌヌゆめみるこぶたをご利甚くださっおいるお客様も、そうではなくずも䜕かの理由でこのカンティヌヌランドを蚪れおくださった方も、ほんの少しだけの興味ずずもに、その成り行きを芋守っおいただけたら、店䞻の私ずしおは光栄この䞊ありたせん。

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