(つづき)
ひとまず飲食業界の話は一旦置いておいて、話の入口として採り上げたいのは、医療・介護福祉、輸送・配送、日用必需品の販売、ごみの収集・処理、などの、本当のエッセンシャルワーカーのことです。
コロナ禍が始まってから初めて、それらの職種がいかに我々の生活にとって必要なもの、重要なものなのかが、意識されるきっかけが生まれました。
それと同時に、そういった職業に対して、今までいかに社会的に敬意が払われていなかったのか、そういった職業がいかに相対的に低賃金なままであるのか、ということが、問題なのではないか、として、世界中で話題になるようになりました。
最初に明確にしておきますが、飲食業もそれに含まれるべきだ、みたいなことを言おうとしているわけではありません。飲食業の話は、一旦ここでは、関係ありません。論理は、ここから違う方向に向かいます。
今回は、過去の長文と比べても、けっこう回り込んだ論理展開になっていくので、誤解を招く可能性があるというか、たぶんこういうことを最終的に言おうとしてるんだろうなという予断を途中のどこかで与えてしまうと、本来言おうとしていることとはけっこう違ってきてしまう可能性があります。話の進め方は最後の最後まで、慎重にする必要があります。
一旦、大きく話が飛躍します。かなり大上段な話を持ち出します。でもそれが最終的に、自分の店の「情報公開ポリシーの話」に戻ります。
そしてそれは、薄くではありますが、この社会全体に、関係する問題なんじゃないかと考えています。
そのあとに、とんかつ屋はどうするつもりなのか、という、内実の話に入っていきます。
かなりまわりくどい話になりますが、今ここで(2022年7月の社会情勢下で)こういう話をすることに、なんだか少し意味がありそうな気がするので、書いてみることにしました。
そしてそこまでまわりくどく周囲から埋めていかなければ、本質にたどりつけないと考えています。
さて結局、なぜそういったエッセンシャルワーカー(本当に必要な職業)が、その重要性にも関わらず、そういう社会的立場のままなのか。
これはつまるところ、端的に言ってしまえば「キャッシュフローベースで賃金が決まる」という資本主義の論理が、(ミクロな)「経済」の論理の中だけでなく、(マクロな)「社会」のかたちの中にまで、浸潤(しんじゅん)してきてしまっているからだと思うのです。
(つづく)
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