(つづき)
唐突ですが、日本ではデモが少ない、と言われます。欧米は多い。欧米以外でも、日本よりは多い気がします。
デモ行為の意味はいくつかあると思います。
ひとつには、為政者の政策に対する直接的圧力。デモ行為に参加する市民が多くいるということは、それだけ政策に対して反対だ、という意思表明になります。 政策立案者たちは票を失うことが怖くて、自分たちの考えを見直します。
もうひとつは、もしかしたらより重要かもしれなくて、というより、順序としてはこれが先に起こって、その結果として上の「デモ参加が増える」ということにつながっていくのだろうと思いますが、
それは、「近隣地域や社会全体、公共的問題に対する、関心の喚起と、議論の醸成」。
デモが行われていることをニュースで知ったり、通りがかって見かけたりして、何が起きているのだろう?と、直接関係していない人にまで、関心を喚起する。 そのようにして関心を持った人が、話題として持ち出し、会話が増え、政治的議論が起こっていく。 それによって、問題意識は拡がっていき、社会意識の変化や、投票行為などにつながっていく。
こういうことが、日本では少ないですが、外国では、一定以上の知識階層以上においては、日常から普通に起こっているのだと思います。
昔フランス修行中、私が「日本人はデモをしない」と言ったら、けっこう驚かれたような記憶があります。
フランスなんかだと、本当に小さな町とかでも、役場が決めたことに反対してかわいい規模のデモ起こしたりしてたような気がします。やりすぎてもよくないんですが。
でもとにかく、そうやってニュースやデモなどから、注意や関心が拡がり、議論を巻き起こし、社会変革につながっていく、というのは、民主主義社会のとても大きな意味だと思います。逆に、そういう力がもし全く働かなくなったら、それは事実上、民主主義社会ではないのだと思います。
ときは流れ、話はエッセンシャルワーカーの枠を飛び越え、コロナ禍の「中期」以降(2021年〜)に移ります。
半導体不足だけでなく、様々なモノや分野にわたって、原産国・生産国での労働力不足・人件費高騰、需給バランスの崩壊、生産・製造計画の乱れ、コンテナ不足など、今までありえなかったようなロジスティクスの混乱が、多くの資材や原料の高騰を招きました。企業物価の上昇は、コロナ禍始まって1年後くらいから、すでに始まっていたのです。
そしてその供給不足、供給不安定の中、同時に世界の一部で急激に回復してしまった消費者心理、などとのアンバランスによって、さらなる原材料高という現象につながっていきました。
そこへさらに、2022年になってウクライナ情勢という追い打ち。物価の上昇に拍車をかける要因ばかりが、次から次へと襲ってきました。
しかし実は、それがとうとう「日本の消費者価格」にまで影響を及ぼし始めたのは、本当につい最近になってからです。
2022年の年初くらいから、この春くらいからはさすがに消費者市場にも影響が出始めるだろうな、という予想はしていましたが、それでもけっこう消費者に対しては、(日本では)値上げしないままだいぶ持ちこたえたな、という印象でした。
ここにきて相次ぐ値上げのニュースがようやく増えてきたのは、ウクライナ情勢というとんでもない事態が起こったことによって、とうとう限界のしきい値を超えてしまった結果なんだろうな、という印象が、私個人としては強いです。
しかし、では、そこ(消費者価格への反映)に至るまでの間、誰が、まず損失をかぶっていたのか?苦しい思いをしていたのか?そしてもし、そのまま「限界のしきい値」を越えていなかったとしたら、そういう人たちは、どうなっていたのか?
必ずどこかに、そういう誰かがいたはずなんじゃないか、と思っているのです。なぜなら、私がこの飲食業という商売をしている中で入ってくる情報だけを見ていても、2021年の半ばから、広範囲にわたってただごとではない値上がりが起こり続けている、という肌感覚を、ビシビシ感じていたからです。
(つづく)
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