(つづき)
事態がこれほどとんでもない方向性に向かっていきつつあることがおそらく確かになってきたからこそ、
ではその新しい世界において、求められる店の形とは、求められる事業の形とは、求められる付加価値とは、何か?ということを、考え詰めることができました。
これがもしも、
なんとなくコロナ禍が明けて、なんとなく生活も意識も元に戻ったのか戻ってないのか、なんとなくこれから戻っていくのかそれともなんとなく変わっていくのか、なんとなくなんだかよくわからない、みたいな状況だったとしたら、もしかしたら、
とんかつカンティーヌは、再開することを考えなかったかもしれません。
もし、この先があまりにも読めない、そして事業戦略、自分自身の個人としての成長戦略が全く描けない、という状態がずっと続くのであれば、
傷が深くなりすぎる前に、ゼロにまで戻して、やり方を根本的に考え直そうか、という撤退判断も、心の中では考えていました。
奇(く)しくも、ここまで極端に、社会の形も、人々の意識も、変容せしめてしまいかねないような状況になったからこそ、「それならば、」と、やるべきことをクリアーに認識できるようになりました。
そして、本当のところを言うと、実はその「これからやってくる世界」こそが、
――極めて「ある意味において」ではありますが、――
もともと「とんかつカンティーヌゆめみるこぶた」が、
それを皆で目指していくことに資することができるような存在でありたいと考えていたような、そんな社会の形だったのかもしれません。
長時間の満員電車に押し込められてたどり着く会社の中で、意味があるのかわからない非効率な業務にも「そういうもんだ」の論理を持ち出されて従わざるを得ず、
本当に必要なのかどうかもわからない「習慣的残業」によって従業員は貴重な人生の時間を削り、会社はそこに「残業代」を払って自らの利益を薄め、生産性を落とし、結果として基本給は上がらず、
ようやく会社を出る時間になったかと思えば、たいして仕事に集中していたわけでもなさそうなのに同じ時間居残っていた家庭を顧みない誰かに声をかけられてなんとなく「飲み」に付き合わされ、
たいしてうまくもない料理と安っぽい酒と生産性のない愚痴や噂話や下世話な話に数時間と数千円を費やし、
その結果として、家族のためにも自分のためにも使えたはずのお金も時間も心の余裕も、年単位で換算したら相当量を失っている、
こんな日本社会のあり方は、本当に心の底から変わってほしいと思っていました。
今これをお読みになっている方は、こんな仕事の仕方、マインド、生活スタイルや生活サイクルには無縁、という方も多いのかもしれませんが、
飲食業界で働いてきた私は、20年近くもこんな状況が変わっていないようじゃ、日本がこれから経済的にも国際感覚的にも成長するなんて、およそ考えられない、と、暗澹たる気持ちでいました。
だから、とんかつカンティーヌというコンセプトの業態を、考えました。
そんなふうじゃない、食事の場を、作ろうと。
そんなふうじゃない人たちのための、食事の楽しみを、作ろうと。
そして「食」を通じて、
社会の中の、公共に対する意識や、国際感覚や、知的好奇心や、美意識や、そういったものを、少しでも何か刺激することができるような、
そしてそれに共感してくれる仲間がいたら、巻き込んで、高めあって、もっと拡げていけるような、
「新しい飲食業」を、作ろうと。
今まで何十年も、変わることがないと思われていたような日本の形。変わることができそうな期待を、もはや世界の誰からも抱かれることがなくなりつつあった、日本の形。
核シェルターのような分厚いコンクリートで全面を固められたその社会構造に、鋼鉄でできた直径100メートルの振り子の鉄球をぶち当てるような事態は、もはや起こりようもない、という諦めが、すでに社会に流れる通奏低音のようになっていた日本の形に、
この2年あまりで、その鉄球が、ぶち当たることになったのかも、しれません。そして今、その分厚いシェルターの壁に、ひびが入りつつあるのかも、しれません。
日本の社会は、きっとまだ、もう少しだけ、良くなっていける。その希望を、私は今、抱いています。
(つづく)
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