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僕はやっぱり、ガストロノミーの世界の料理人(中編)2/3

なぜこんなローカルな土地で、誰にも知られることなく、たった一人で、自分の世界観の中だけで店をやっているような私が、それほどまでに、今や自分とは関係がなくなったはずの世界に対して、未だに偏見をつのらせ、思い込みを強固にし、認知を歪ませ、嫌悪を抱き続けるようなこととなったのか?


それは、とんかつカンティーヌとして営業していたたった1年の間に経験した、いくつかの事象が、明らかに影響を及ぼした結果でした。



具体的には書きませんが、侵されたくないと考えていた自分の領域に、いとも簡単に、「あの世界」の住人は、土足で踏み込んでくるものなんだと、思い知らされたことが、何度かありました。そのアンテナの高さと無神経さに、忘れようとしていたかつての世界を、否応なく思い起こさせられるような経験でした。



そこからはもうアレルギー反応のようなもので、わずかな気配にも、すぐに免疫が過剰に反応してしまう。攻撃を開始しようとしてしまう。常に臨戦態勢をとってしまっている。自分と関係のないはずの、全く離れた世界のことにおいても。



それが、冷水を浴びせられることのない孤独の生活の中で、めらめらと燃え上がり続ける。



しかしもう一度改めて言うならば、それは、偏見であり、思い込みであり、決めつけ。あるいは部分的には事実であったとしても、少なくとも局所の影響力ばかりを過大視しすぎた、認知の歪みであることは、おそらく間違いないのです。



だから、もう一度、ガストロノミーの世界を、見つめ直してみる。



ニーチェが言うところの「ルサンチマン」としてではなく、純粋に、その価値を再発見するために。

(これは意味がわからなかったとしても、わざわざ検索される必要は、ないです…)



「ミシュランの星付きシェフ」にもいろいろな方がいますが、そのうちの一部は、このコロナ禍初期のころ、「医療従事者たちに、無償で料理提供」を行う運動を行っていました。大変な思いをして我々の生活を守ってくれるエッセンシャルワーカー――当時、ろくに食事をするような余裕もなかった人たち――に、せめても、という思いで、手の混んだ料理を作り、デリバリーし続けていたのです。


これは、実は最初、フランスで一部の「星付き料理人」たちが始めた運動でした。それに感化され、ならばオレたちも、という思いで、日本でも活動が起きたのです。


このことは、実は私も、当初から知ってはいました。

しかしその認知も、やはり、歪んでいたのです。


自分のような小さな名もなき飲食店は、この未曾有の事態に、一瞬で沈没してしまうような瀬戸際に、追い込まれている。ほとんどの飲食店は、同じ状況だ。従業員がいる店、家族がいる人は、どうやって生きていけばいいのか、人生に直結する危機だ。なのに、星付きレストランというのは、そんなことをしている余裕があるのか。これもひとえに、連日欠かさず席を埋めてくれる、見栄のためにはカネに糸目などつけないような客を相手に、プレミア感を割増するもったいぶった説明と情報を上乗せしたお高い料理とワインで、がっぽり儲けてこられたからなんだろう、と。


恥ずかしながら、けっこう本気でそう思っていた時期があったのです。



それ以外にも、有名なシェフたちの何人かは、このコロナ禍を機に、いろいろなアイデアを試していました。店内での通常の営業だけでない、新たなポートフォリオとしての、物販ビジネス、デリバリー、全く異なる業態の開発、など。


結果的に、それで店舗を増やし、レストラン営業だけの商売を補完してより安定的にさせられる、盤石な体制を築いた人もいました。それらの多くは、それまでレストランに食べに来ていた人たちだけではない他の人々にも、このコロナ禍において、新しい楽しみやおいしさを、届けるものでした。


そしてそれらのアイデアのうちのいくつかは、おこがましながら、私が、「もしカンティーヌがうまくいって、資金がどんどん増えていったら、ぜひともやってみたいこと」と考えていたことと、一致していました。やっぱり、思いつく人は思いつくんだ、やる人はやるんだ、できる人にはできるんだ、と、悔しさと、敗北感と、劣後感に、打ちのめされる思いをしました。



何かをするためには、原資が必要。事業として、ビジネスとして、あるいは慈善事業としても、それは何よりも当たり前のことなのです。お金なくしては、何もできません。どんな崇高な理念も、基本的には、お金がなければ、形にはなりません。



なんであれ、彼らは、お金をしっかり稼ぎ、その余裕を貯蓄しておき、こういう危機の状況で、社会のためになる行動を、起こした。


それは、やはりすごい。それができるのは本当にすごい。ようやく今になって、それを純粋にそう評価するようになってきたのです。この長い、怒りと偏見の凝り固まった数年間の果てに。


私だってもともとは、利益を出し、余裕資金を作って、子ども食堂とかをやりたいと考えていたのです。そして地球環境や、動物たちを守るため、あるいは紛争地や恵まれない地域にいる人々のため、何かができるためのお金を、稼ぎたいと考えていたのです。


しかし現実は、結局私の「経営者」としての器の至らなさを、あぶり出しただけでした。


崇高な理念や正義感、批判ばかりが先行して、結局「利益を出せない」。これは経営者として、最大の失格です。


ガストロノミー。なんであれ、お金が集まる場所。お金を儲けるビジネス。


お金を持っていて、お金を使いたがる、そして情報を拡散・共有しあい、自動的にマーケットの再生産を繰り返していってくれる顧客セグメントにピンポイントでフォーカスする、効率の良いビジネス。


正直言って、私はやはり今でも、そのビジネスモデルを好きにはなれません。感情的には。



しかし今、自分がやるべきことは、なんなのか?



とにかく、利益を出せる仕組みを、作ること。できることを少しでも、広げていけるような原資を、稼ぎ出すこと。


でなければ、その先には、何もありません。



やはり私は、ガストロノミーの世界で生きてきた人間。その世界のことを、いつでも、意識しないわけにはいきません。ここまで述べてきたような、あらゆる意味において。



(後編に続く)


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