
お酒なしでも、問題なし
お酒を飲まない人の味方になれる店
『呑み』の場ではない、豊かな『食事』の場を。
店主はあまりお酒を飲みません。飲まないというか、時には飲むんですが、「『呑み』の場」というシーンが、好きではありません。
昔から、ずっと思っていたことがあったのです。
「『呑み好き』な人にとって楽しい、うれしい飲食店はいくらでもあるのに、なぜ『呑み好きでない』人にとってうれしい店は、ほとんどないのだろうか?」
その明白な理由が、飲食業界の中での経験を積むにつれ、わかるようになってきました。
私が今ここで言っている『呑み』とか『呑み好き』とは何を指しているのか?
単に「お酒が好き」という意味ではありません。
店主は、安っぽくて騒がしい飲み屋や居酒屋の空間が好きではありません。
酔っぱらって大声を出したり騒いだりして、関係のない周囲や近隣に迷惑をかける、という行為や、それを許す「空気感」に対して、平均的な人の感覚よりも過剰に、嫌悪を覚えるような気がします。酔っ払ってセクハラやモラハラなど、もってのほかです。
とはいえ、若い世代のそういう行為に関しては若気の至りというか、目くじら立てるようなことはないのですが、
気になるのは、店主と同じくらいのいい歳してそんなことをやっている人が、日本社会の中には未だに驚くほど多く見えることです。
(そのように「見える」だけです。店主の生活圏において、という要素も大きく関係している気もします。そして店主が飲食業界の人間であり、飲食店の中で繰り広げられている光景をずっと見続けてきている、ということはもちろん大きく関係があるだろうと思われます。)
「おいしいお酒を飲みたい」
「お酒をおいしく飲みたい」
このことに問題があるなどと思っているわけでは、もちろんありません。
お酒が好きならば、よりおいしいものを、よりおいしく、というのは、ごく自然な欲求です。
当店のお酒の提供の仕方は、それを目指しています。
しかし、「とにかく『呑み』好き」。
これとの間には、けっこう違いがあると思っています。
では、騒がしくない、静かにおいしいお酒を飲めるお店ならば、それで万事解決で、よいのか?
それも、ここで私が言っていることとは、違います。
そもそも、一般的に飲食店は、「お酒が飲めない」という人、「お酒は好きではないから、いらない」という人のことを、お客として、どう考えているのか?という問題なのです。
お酒を飲めない人、お酒は特に好きでもない、という人と会話していると、だいたい次のような同じ話題になります。「飲めないあるある」です。
「夜、何か食べたいと思ってお店に入っても、『お酒頼まなくちゃいけないのかな…』と、肩身が狭い」
「それを考えると、気が引けて、結局入店することをやめる」
「それを別としても、そもそも、夕ご飯ではなくて、お酒のための料理やつまみを出すお店しか、ない」
そうすると、どうするか。チェーンの廉価な定食屋やファーストフード、ファミレス、ラーメンなど、そんな感じの夕食になります。
みんなでワイワイ、楽しく飲んで食べて!ということを喧伝する飲食業界、飲食関連メディアからは、「飲めない人」「飲まない人」は、無言のうちに、締め出されてしまっている。これが、私の問題意識でした。
でもそういう「締め出されてしまっている」側に生きている人たちは、「声を上げる」ということはしないことが多い。つまりサイレントマジョリティです。純粋に統計的に見ると、実はマジョリティなのです。
グルメ関連メディアは、雑誌でもネット上でもSNS上でも、常に最新のグルメの流行、話題の店について、あふれるほどの情報を提供してくれています。しかしそれらも多くは、殊にディナーに関しては、「飲んで、食べて」を楽しめる人に対して向けられているものなのです。
これでは、社会全体の「食」は豊かにならない。
とんかつカンティーヌは、呑みの場ではありません。
豊かな食事の体験を提供することを、目指している場です。
「豊かな食事の体験」とは、何か?
ぜひ、SNSやグルメ評論、グルメサイトなどの「他者の目の評価軸」から一旦離れて、あなたご自身で、とんかつカンティーヌでのお食事を、体験なさってみてください。
