
「日本一、文字の多い飲食店」を目指しているとんかつカンティーヌゆめみるこぶたの
店主/シェフ紹介の部屋
店主の人物像の説明と、なぜ「とんかつカンティーヌ」に至ったのかの物語

写真準備中
店主/シェフ
木村慎二郎
略歴
(詳細経歴は下の方にあります)
2002年慶應義塾大学卒。卒業後、ドイツSAPの日本法人SAPジャパンに入社、2年目よりプロセス産業セクターでビジネスデベロップメントを担当。入社3年経過後、思いが募るあまり「突如」退社し、辻調グループ校のフランス料理専門カレッジに入学。卒業後、東京・南青山「レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ」(現「NARISAWA」)に入店、2年間修行。その後東京・本郷の「オ・デリス・ド・本郷」(現「クク・セモワ」)で1年間修行したのち、渡仏。パリ近郊・ポンシャルトランの「ローベルガード」、南仏コートダジュール・ラチュルビーの「オステルリージェローム」で修業。帰国後、結婚式場、カフェ、ビストロ、ケータリングなど多様な業態をスーシェフ、シェフとして経験し、2019年「とんかつカンティーヌゆめみるこぶた」を独立開業。
人物紹介
1979年生まれ。 動物、自然、生き物が大好き。SNSは普段全く利用していないが、動物動画は好き。動物の赤ちゃんがはしゃいでいる姿を見ると、この命が人間の子供と一体何が違うのかと思われて、愛おしすぎて哀しくなる。犬が大好きだが、どちらかというと愛玩動物ではなく、家畜動物や自然の中に生きている動物や虫、植物が好き。命あるものすべてに感動を覚える。自然ドキュメンタリー番組大好き。 ほか、好きなものは基本的に、かわいくて、やさしくて、罪のないもの。任天堂「どうぶつの森」シリーズをやってみたいと、ずっと思っている。それ以外にも、任天堂のゲームの世界観が好き。あんな世界を、いつかとんかつカンティーヌの中に作ってみたいと考えている。子供が大好き。子どもが笑っている顔くらい尊く美しいものはないと考える。それは国も国籍も人種も関係ない。特に小学生と話をするのが好き。ものごとを知り、論理を理解できるようになり、自分の言葉で話せるようになって、そしてなお溢れんばかりの好奇心と未知への探究心、想像力と驚きを持ってこの世界と向き合い、日々感動し続けている小学生と話していると、人間とは本来かくも美しいものなのかと心を動かされる。 子供のころ尊敬していた戦国武将は上杉謙信、織田信長だったが、今では徳川家康、武田信玄となった。 日々の情報の入手源は、主にNHKと日経新聞。ネット上であれば、国内外の大手新聞社や大手通信社。ソース不明、根拠不明なネット情報は基本的に信用しない。自宅にいるときは、睡眠中以外の9割の時間はテレビでNHK総合もしくはEテレがついている。特に好きな番組は「ブラタモリ」。 ワンオペ人生が長く続きすぎていて自分の生活はセルフネグレクト気味。自分のことよりも環境問題や国際問題など世界のことにばかり関心がいってしまう。少しメンタル不調を抱えている。あと難しすぎて理解できない物理や数学、宇宙や自然の神秘の話に目がない。 UNICEFと国境なき医師団のマンスリーサポーター(寄付会員)をやっている。社会的弱者、マイノリティ、教育格差の問題に、常に関心がある。いつかなんらかの形で、教育に関わる仕事がしたいと考えている。 【ほか好きなこと、好きなもの】 歌うこと、車の運転、文章を書くこと、活字を読むこと、歴史を学ぶこと、歴史から学ぶこと、謎解き・ミステリー、芸術全般、暗かった時代のMr.Children 【嫌いなもの】 ・品のないフーディー、グルメ評論家、快楽主義者。そういう人たちがこぞって集まってくるような俗物趣味な高級レストラン。そういうものすべてを含む、昨今のグルメ業界。客と店主がベタベタの馴れ合い関係になっている店。 ・歩きタバコ、タバコのポイ捨て。酔っ払い。節度を保って生きている市民の秩序やルール、平穏を乱す迷惑人物、迷惑行為。 ・偽情報や嘘情報、陰謀論。ほか事実・科学・根拠に基づかないもの。 ・ドナルド・トランプ。「トランプが嫌いだ選手権」があったら、全国大会であってもかなり上位に食い込めると自負している。 ・イーロン・マスク。資本主義の負の側面が産み落とした、世界を破滅に導く可能性のある思想を持った、最も恐ろしい人物サンプルの一人と考えている。 ・家父長制と父権主義。これらの思想的、あるいは擬制的支配構造をもって支えられている旧来からの日本型組織と権力構造。あらゆる分野、領域において、ものごとや社会の進歩発展を阻んでいる障壁は、根本的にはこれらだと考えている。 ・思考停止、知的停滞。どんなものごとであっても、「〜ってのは、そういうもんなんだ」で説明を終了してしまう判断停止に陥らず、勇気を持って「そもそも論」の問いを立てること、議論することに意味があると考えている。 【好きな言葉】 「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」 (ビスマルク) 「世界を滅ぼすのは、悪いことをする人たちではなく、それを見ていながら何もしない人たちだ」 (アインシュタイン) 「君子、和して同ぜず。小人、同じて和せず。」 (孔子)
シェフ詳細経歴
2002-2005
料理人となることの決意
慶應義塾大学文学部教育学専攻卒。領域は教育哲学(「『教育』とはなにか?」)。ゼミのテーマは 「美的経験と人間形成」。
自身の専門としたのは、18世紀ヨーロッパの啓蒙思想史、哲学史。具体的には、現在の欧米系社会や日本の社会構造の基盤となっている「自由」「基本的人権」という概念が初めて生まれ、定義づけられたその時代の思想、そしてその「自由」を土台として制度づくられることとなった政治体制(民主主義)、経済体制(自由競争に基づく資本主義)の芽生えと黎明の時代の、思想哲学の歴史。
卒業論文のテーマはアダム・スミスの『道徳感情論』。『国富論(諸国民の富)』において、「自由」競争と「市場」経済を基礎とした資本主義の形を体系的に描き出し、全面的に肯定したアダム・スミスが、同時に、私益を追求し続ける人間の「道徳性」がどのように腐敗に向かわず担保されると考えたのか、あるいはどのように担保される「べき」と考えたのか、その相克と葛藤を、教育学的視座から読み解くことを主題とした。
「富」「私欲」と「道徳」の二律背反、あるいはそれらが同時に成り立ちうるのか、という問題は、この先おそらく一生、自分の人生において考え続けるテーマになるだろうと、このとき確信する。
卒業後、企業向けITシステム・ソリューション大手ドイツSAPの日本法人SAPジャパンに入社し、営業部に配属。1年間の営業アソシエイトのあと、既存顧客のCS向上及び営業部内のナレッジマネジメントに従事したあと、事業部長直属でビジネスデベロップメントの職務を担当、新規市場開拓をミッションとする。
企業内システムと業務プロセス構造および企業統治とのつながりや、会社の中を丸ごと作り変えるようなビジネスプロセス抜本改革プロジェクトを学び、また当時まだ日本では販促や広報、市場調査などといった狭義でしかとらえられていなかった「マーケティング」という言葉の欧米的な本来の概念やミッションに触れ携わったことで、ビジネスに関わる様々な基礎を学ぶ機会を得られた3年間となる。
しかし実はその途中から、業界内の「テック思想」に、違和感と、なんとも言えない空恐ろしさを覚え始める。学生時代に学んだ西洋哲学史の知識に照らして、当時でこそまだ言葉にはなっていなかったが現代で言うところの「テクノ・リバタリアン(=テクノロジー万能主義と自由至上主義が組み合わさった、道徳性概念の排除に向かう思想)」につながる思想と、それがいずれ世界に横溢(おういつ)することになるのではないかという未来を予感し、「ここは自分が生き続けていくべき世界ではないのではないか」と悩み始める。
そのころ出会った辻静雄(辻調理師専門学校の創立者)の本に感銘を受け、フランス料理という世界の、学問的ともいえる奥深さを垣間見る。幼いころからの料理好き、哲学という学問的視座から考える料理の文化的価値、ビジネスから学んだグローバルなサプライチェーンやロジスティクス、環境問題などから考える「食」の将来の危うさ、テクノ・リバタリアン思想に立ち向かうことができるかもしれない新しい価値観の地平、といういくつもの観点から、
自分は、「食」に人生を掛けて、生きてみよう。
と、悩み悩んだ末に、決断する。
「食」という観点から出発して考えてゆきたいことは山ほどあると思われたが、仮に大学院に入って「研究者として」「学問として」食の重要性を語ったとしても、おそらく多くの市民に対する、リアルな、真実に迫るような説得力は決して持てないだろうと考え、
まず第一に、リアルな「現場のプレイヤーとして」、
こんな料理を作る人が言うことならば説得力がある、とまで言わしめるくらいの料理を作れる「技術」を身に付けなければならない、と思い、
「プロの料理人」となることを決意。
2005-2010
ズタボロ修業の20代
2005年3月にSAPジャパンを退社後、そのまま4月に辻調グループ校の東京・エコールキュリネール国立(当時名称)に入学。のちになって思い出しても感動するほど素晴らしく体系的に作られたカリキュラムで、フランス料理のあらゆる基礎を学ぶ。
卒業後、南青山「レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ」(現NARISAWA)に入店、2年間修業。破壊的なまでに想像を絶する「プロの料理人の世界」に、度肝を抜かれる。それまで自分が接してきた、いわゆる「知的エリート」的な世界とは比較にならない、まるでプロスポーツの世界のような壮絶、凄絶すぎる毎日に、ボロ雑巾のような存在の自分を初めて思い知らされることとなる。みじめなくらい手先が不器用で要領が悪く融通もきかない、そのまま文字通りの「バカ」なバカ真面目、何ひとつまともなことができないどうしようもない下っ端として、底辺の泥沼を這いずり回るような日々が続く。ただただ、「辞めないでいること」だけで精いっぱいという毎日を送り続けるが、最終的にはなんとか野菜の処理の仕事だけは合格点をもらう。今にして思えば、当時世界最高峰だったレストランで世界最高の食材に触れ、その味を舌で知り、先輩たちの仕事を見、その完璧主義と徹底ぶりを毎日目の当たりにしていたことは、別の道においてはヨーロッパのプロサッカーリーグ、メジャーリーグベースボール、ベルリンフィルの中にいたというのとさえ例えられそうな、稀有な経験だったと言える。
その後、本郷三丁目「オ・デリス・ド・本郷」に入店、1年間修業。パティシエから修業を開始しフランスの名店で働いたあと恵比寿のジョエル・ロブションで部門シェフまで務めたという華々しい経歴をアピールしない、しかし技術レベルにおいては業界内でも有名な西村和浩シェフに師事する。「泳げないのに海のど真ん中に放り込まれた」的な無謀な無茶振り仕事の数々、狂気じみた職場環境の中、「ナリサワ」を2年間耐え抜いた根性を頼りに、死に物狂いで食らいつき続けた結果、いつの間にやら様々な基礎技術を全般的にけっこうしっかり身につけることとなる。
料理人人生の最初にこの2店で働いたことが、その後の自分の全ての料理を決定づける。どちらも(特に「ナリサワ」は)、シェフの華麗な経歴や独創性、前衛的で芸術的とさえ評される美しい料理が取りざたされるが、実はそのおいしさの核心は、現在ならばコテコテと言ってもよいくらいの古典的でベーシックな、それも徹底して基礎に忠実な、フランス料理の基本技術に裏付けられていたことを、あとになって理解する。
2010-2011
フランスでの経験
その後、「フランス料理を生んだ、フランスとはいったいどんな国なのか?」どうしても知りたくなり、30歳のとき、フランスに渡る。パリから電車で30分、田園風景の広がる田舎、かのオーギュスト・エスコフィエの「直接の弟子」であった祖父のリュシアン・オジエ (M.O.F)とその娘婿ジャン・ボルディエ(M.O.F)と、M.O.F(フランス国家最優秀職人賞)保持者2代を含む、3代続く老舗「ローベルガード」に入店する。今では教科書でしか見られないような古典料理を日常的に作っている姿、そのバターやクリームの圧倒的な使用量に、衝撃を受けると同時に感動を覚える。「これが…本物の…本来の…フランス料理なのか…」下手に有名な話題のミシュラン星付き店などに行かなくて本当によかったと思える、フランス経験の財産となる。
1年間と限られていたビザの滞在期間の中、古典とは全く異なる別のフランス料理、南仏料理も学びたいと、半年後に移住。コートダジュール地方の、モナコを見下ろす崖の上の小村、ラ・チュルビーにあるミシュラン二つ星のレストラン・オーベルジュ「オステルリー・ジェローム」に入店。太陽降り注ぐ地中海の豊かな食材に彩られた南フランスの料理に、これまた衝撃を受ける。「食材…食材そのものとは、これほど美しく、魅力的なものなのか…そして…この太陽…この光…海の碧(あお)…自然の美しさとは…これほどまでに食事をおいしく美しくする、相乗効果となるものなのか…」フランス古典料理とは全く異なる、地中海ならではの素材を活かしたシンプルな料理と、その環境の美しさに感動する。
しかし、フランス滞在中、なんと東日本大震災が発生。遠く離れた異国の地で、激しく混乱し、心の状態が不安定になるという事態を経験。そして、生まれて初めて頭に浮かんだ、「祖国」という概念。ビザの期限とともに、日本に帰ろうと思い、帰国。
2011-2019
開業までの山と谷
帰国後、いろいろな業態の知見を得たいと思い、結婚式場、カフェ、ケータリング、ビュッフェなど、店を替えながら、副料理長、料理長として経験を積む。
2015年、パリから国外初出店として東京に上陸したブーランジュリー&パティスリーの六本木「メゾン・ランドゥメンヌ」で、料理部門のオープニングシェフに就任。フランスのピエール・エルメやラデュレでシェフパティシエを歴任してきた、オーナーパティシエのロドルフ・ランドゥメンヌから実力を認められたことで、独立することを決意。
翌年、独立開業に向け動き出すが、物件契約を済ませ、さあこれから店舗施工開始、というところまでいったまさにその直後に、不動産屋や内装会社からまで「こんなケース、今まで聞いたことがない」と言われた驚天動地の想定外「物件トラブル」によって計画頓挫に陥り、泣く泣くすべてを白紙撤回。開業資金の全てをドブに捨てることとなる。人生で初めて、決定的な挫折と絶望を思い知る。
それでも奮起。自分には、独立して成さねばならない、この人生の目的がある、と、ギリギリのところで折れずに立ち上がる。
貯蓄資金ゼロどころかマイナスからの再出発となり、飲食企業に入社しエリアマネージャーとして働きながら複数の副業を掛け持ちしたりしたが、身が持たなくなる上に、たいして稼ぎにもならないことを痛感。飲食業の現場仕事を一旦離れ、水産物の物流系ITベンチャー企業に入社する。SAP時代の経験を活かし、任命された事業計数管理の仕組み構築の職務で、バラバラだった業務の洗い出しと標準化、それを担保する制度設計とシステム設計、全社的なガバナンス設計等、構造改革とシステム改革を一手に担い、それを完成させたあと、続けてIPO準備にも取り掛かる。自分の担当領域のミッションにひととおりめどが立ったところで、ギリギリ必要な開業資金が貯まり、再びの開業挑戦のため退社。前回の失敗から計画規模を大幅に縮小し、一人でリスク最小限で始めようと考え直す。
そして2019年4月、従来の「飲食業界」や「(高級)グルメ業界」において目指されている「成功」の形とは全く異なる方向と目的と理念を目指す、「新しい『食』の仕事」の在り方を社会の中に打ち立てるため、
「食を通じて、社会を豊かにする。世界の問題を、考える。」
を事業理念とした、「とんかつカンティーヌゆめみるこぶた」の開業に至る。
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