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「カスハラ問題」について考える③ 「迷惑」とは何か?「カスハラ」は異常人物の特殊問題、「迷惑」は私たち全員が知らず知らずに関わっているのかもしれない問題。目を向けてみたい二つの背景


(続き)


前回の投稿からだいぶ間が空きました。なかなか落ち着いて文章を書く余裕が作れず、気が付いたらけっこうな時間が経っています。


それにしても、この間に…驚くほど、「カスハラ」に関する言説を目にするようになりました。


私がこういう仕事をしているから、興味関心に関連する記事としてヤフーニュースやグーグルニュースで流れてきているというのもあるかと思ったのですが、実際にはそれ以上に、新聞や一般ニュースで目にすることが、本当に増えました。日経新聞を毎日読んでいますが、日経の中でも「カスハラ」の文字を目にしない日はないほどです。


しかし…多くは、「どこそこの企業で、『カスハラ』への対処ポリシーを明確化し、公表した」みたいな記事なのですが、これまでだって相当な数のケースがあったはずであろうと思われるのに、ここにきて「ほかのみんなも言い始めたから、うちもやろう」みたいな後追い感を、空気として感じます。そうやって、今まで日和見してはっきりと毅然とした態度を経営側が示してこなかった間に、現場の仕事をしている人たちが、いったいどれほど嫌な思いをし、疲弊させられてきたのか。


こういうことに、私はとてもマイナスの印象を受けています。経営者というのは、本来、誰よりも先んじて、従業員がなんとなく感じているだけの問題を、はっきりと概念として認識し、従業員が立場上言い出せないことを、言語化し、正しいこと、間違っていることを、明確に発信する、実践する、それによって社会の一部から何らかのバッシングを受けることがもしあったとしても、それに耐える、その覚悟と勇気をもって貫く、そして、やはり間違っていることは間違っているのだ、正しいことは正しいのだ、ということを、周囲に納得させる。そのようにあるべきだ、というのが、私の経営哲学です。


こんな小さな店で経営哲学というのもおこがましいですが。


しかしそれでも、経営している限りは、私も経営者です。従業員がいなくても、従業員がいないからこそ、自分の姿勢がそのまま経営の姿勢としてお客様の目には、映るわけです。そのことをいつも、自分で肝に銘じています。


ということは、だいぶこの文章の本題とは外れています。脇道に逸れました。すみません。この文章で語ろうとしていることは、経営哲学ではなく、「社会の中における、『迷惑』の本質とはなにか」「その背景には、何があるのか」です。


さて前回の投稿では、以下のことを語りました。


1)今ニュースなどでよく聞くようになった「カスハラ」とは、刑法抵触ギリギリの、ほぼ犯罪的行為のことであって、それへの毅然とした対処策を示す、というのは、本来は当然のことであって、これはある意味においては「わかりやすい」問題である。(こういう「ほぼ犯罪的行為」にあたる行為、人物のことを、この文章においては「カスハラ」とカッコつきで表記することとする。)


2)ところが実際には、接客、サービス業等においては、そうした「カスハラ」未満の、単純な「迷惑行為」というのも身近にたくさんあって、それも現場スタッフを疲弊させる大きな要因となっている。そしてこれこそが、「カスハラ」とは別に、「日本社会の思想的構造が根深く関わっているのかもしれないと言える社会問題」と、考えている。



「迷惑行為」と言えるような行為、「迷惑人物」と言えるような人物は、当店においてはほぼ皆無です。だからここで話すことは、とんかつカンティーヌにおいて起こっている問題ではありません。もっと広い問題として、考えてみたいと思います。


世の中の多くの(ほとんどの)少なくとも飲食店、飲食業界には、「迷惑」は日常あふれているように思います。さらに言うと、販売系の業界や、サービス系の業界なども、同様か、あるいはもっと悪い状況にあるのではないかという予感すらあります。なぜなら飲食業は一般的に、何らかの意味で自動的にある程度「客層がフィルターされる」業態であるのに対して、来客に対してそもそも「フィルター機能が弱い」量販店や物販ビジネス、宿泊サービス、医療サービスなどは、防御策をとりたくてもとれないという構造になりがちと考えられるからです。


ここでいう「迷惑」とは、具体的に何か。

イメージしやすい例として、飲食業における「迷惑あるある」の典型をいくつかご説明する必要があるかと思いますが、


若干余談を差しはさみますと、


当店公式のアカウントは作っていながらも「利用しません」宣言をした(笑)メタのSNS「threads」を、最近、気まぐれに見てみたところ、


個人で飲食店を経営している人の投稿が目について、それが具体的で露骨な「迷惑な客に関する愚痴」だったのですが、


そんなことをこんなSNSで自分のはけ口として投稿するなよ、とは思ったものの、書いていることに対しては「ああーあるよなーそういうこと、いるよなーそういう人」とうなずいてしまうような内容で、


それを一度見てしまったが最後、


もう次から次へと、そんな投稿ばかりが自分のところに舞い込んでくるわけです。これがフィルターバブルというやつか。利用者の興味関心に引っかかりそうなことばかりが、そういうアルゴリズムによって次々となだれ込んでくるのです。


まあーとにかくヒドイ。ひどすぎる愚痴の掃きだめ状態です。たぶん日本全国からなのですが、飲食店をやっている個人の、「迷惑な客に対する文句と愚痴」の投稿の坩堝(るつぼ)です。読んでいてだんだん気分悪くなってきました。


気分悪くなってきたので見るのはやめたのですが、ただ、書かれていること自体は、やっぱりどこでもみんな同じようなことに見舞われていて、同じような思いをしてるんだな、ということでした。私も、雇われの立場でシェフ(料理長)をやっていたころは、まあ言うなればつまるところ「自分の店ではないから」、それほどまでに怒り心頭ということはありませんでしたが、独立して自分の小さな店をやっていてこんなことに日々見舞われ続けたら、それは怒りもストレスも数倍になるんだろうなとは、想像に難くはありませんでした。


と余談になりましたが、


飲食店における「あるある」な迷惑客の事例とは、たとえば以下のようなものがありまして、


・まだ開店していない時間に勝手に店内に入ってきて、営業しろと要求してくる。あるいはラストオーダー後の時間に入ってきて、対応しろと要求してくる。

・明らかに酔っ払った状態で入店してくる。

・(ラーメン屋等で)行列している間に、近隣の住宅敷地内などに入り、苦情が生じて、やめてくれるよう求めても、言うことを聞かない。

・ヘッドホンをしていて、注文等の営業コミュニケーションがうまくいかないため外してもらうよう求めると、逆ギレする。

・高回転店(ラーメン屋等)でゲーム・動画試聴をしていてなかなか食べ進めない、食べ終わっても居座っている、等のことを注意すると、逆ギレする。

・他の客の迷惑になるほど、会話や電話やweb会議の声がでかい。

・態度が明らかに横柄。

・子供が騒いで店内を走り回っていても、親が注意しない。

・子供がトイレの個室の中でいたずらをして、詰まりや洪水になる。

・自分だけの話し相手であるかのように、店員や店主に延々と話しかけてくる。

・気に入らないことがあったからと、口コミサイトで好き勝手な悪口を書く。

・店内のあちこちを無断で撮影する。

・忙しいランチタイム中に電話をかけてきて、「今最寄り駅に着いたんですが、ここから店までどう行ったらいいですか?」と聞いてくる。


まあだいたい、どこでも「あるある」な典型事例です。その一部です。


とはいえ、これらのうちのいくつかは、明らかな迷惑人物や迷惑行為であるとは必ずしも言えないこともあって、単にその人物の個人的な「感性の鈍さ」から生じているだけだったりすることも、往々にしてあります。しかしそれでも、店にとって迷惑だと感じられることは、迷惑です。なぜなら店が迷惑だと感じるということは、その時点ですでに、金銭的、労務的、心理的、ほかなんらかの意味で、実際に弊害が生じているから、という順序があるためです。


またまた余談になりますが、新聞以外の、ヤフーニュース等で最近頻繁に目にする「カスハラ系」ニュースに、「二郎関連」のものがとても多いです。そうです、当店でもたまにお客様と白熱の話題として持ちあがることがある「ラーメン二郎」関連の、迷惑客記事です。

そういうのを見ていると、二郎のある特定のいくつかの店舗では、かなり迷惑事例が多いみたいで、場合によってはその対応のために休業にせざるをえなくなったりとかいうことが、起こっているみたいです。これは私が言うところの「刑法ギリギリ」な「カスハラ」というよりは、上の「迷惑」カテゴリーに該当しているように、読んでいて思いました。気の毒なことです。


さてこういった「迷惑」行為ですが(この「カスハラ」未満の迷惑のことを、カッコつきで「迷惑」と表記することとします)、これらを「迷惑」であると判断する基本的な基準は、それが「自己中心的行為」に該当するかどうか、だと考えます。相手である店のこと、周囲のこと、他の人間のこと、に配慮しない、「自分がやりたいことを、やりたいようにやる」行為です。

言い方を換えれば、「自己中心的行為」に該当しない、たまたまその場の結果として迷惑になってしまった、というだけの行為は、ここでは「迷惑」として含めておらず、私も個人的には迷惑とは捉えておりません。そこはお互い様というか、誰でもいつでもありうることでしょう。


この基準は飲食業、接客業、サービス業に関わらず、社会生活において、だいたいどこでも当てはまるのではないかと思います。ゴミ出しルールを守らないとか、歩きタバコをするとか、タバコのポイ捨てをするとか、深夜に騒ぐとか、SNSでひとを誹謗中傷するとか、そういう場面で。


さて、そこで…


再三にわたって強調しているというか、この文章で考えてみたいと主題にしていることは、


こういう「迷惑」行為は、「カスハラ」行為とは本質的にイコールではなく、連続的につながっているものとさえ、必ずしも言えない、ということなのです。


なぜこれほど、それらが「別もの」であるということを、強調するのか?


「カスハラ」は、多少乱暴にざっくり言い切ってしまえば、ある種の異常行為であり、特殊事象です。それを行う主体がそもそも、ある種の異常な人物であることがほとんどとさえ言って間違いないかと思います。いずれにしても、「カスハラ」という行為は、その行為の「目的」そのものが、権威をふるおうとすること、相手を貶めようとすること、自身のストレスを発散しようとすること、等、その「行為」自体なのです。その意味において、これは間違いなく「ハラスメント」として概念化できます。


それに対して、上の「迷惑」行為とは何か。これは必ずしも、「いやがらせ=ハラスメント」を「目的」としたものとは、言えません。結果的に迷惑にはなっていても、そしてその原因と発端が「自己中心性」にあったとしても、意図して迷惑なことをしようとしている、とは限りません。


その意味において、こういった「迷惑」行為は、これを書いている私自身をもちろん含めて、意図せずして、大なり小なり、どんな人においても、どこかの場面においては、当てはまりうる、起こってしまいうる問題と言える、と考えているのです。

これは、大きな違いだと思います。


私はこの数年来、なんとなく気になっていたのですが、「カスハラ」が昨今、社会的にもはや放置しておけない問題となっている、という現在の状況に至るよりも先に、そもそもそれ未満の、「迷惑」レベルの行為や事象の頻度あるいは総量が、社会の中で近年、ずっと増え続けてきていたのではないか、という感覚があります。

そして先ほど、「必ずしも連続的ではない」とは言ったものの、それ(「迷惑」事象の増加)との相関として、それが突出して「異常化」した現象として、「カスハラ」レベルの問題も、同じように増えてきた、という順序になっているのではないか、と見えているのです。


これを示すデータは、ありません。おそらくそもそもデータ化することは難しいと思います。しかしなぜ、「数年来、なんとなく気になっていた」のか。その根拠はなんなのか。


それは、「消費者向けの商品やサービスを提供する企業のホームページから、『お問合せ電話番号』が消えた」という事実が、気になっていたからです。皆様もお気づきになられていたでしょうか。


何か問い合わせをして聞きたいことがあるとき、メーカー、ベンダーのHPを開いて、どんなに探してみても、「お問合せ先電話番号」の情報にたどり着かない。「ご質問はこちら」というリンクを見つけて、「FAQ」の画面にジャンプし、ひととおり読んでみても該当する質問がない、それ以外の質問は?を探してリンクをたどっているうちに、なぜかまたFAQの画面に戻ってきてしまう。良くても、さんざん探して、隠れ小路のような画面のはじっこにあるリンクから、どうにかこうにか、「問い合わせ用メールアドレス」を発見するのがやっと、という思いをすることが、ここ数年でだいぶ増えたような気がします。


あるいは、『お問合せ電話番号』が記載されている場合でも、ほぼ必ず、電話がオペレーターにつながる前に、「この電話は、通話品質と対応の向上のため、録音させていただいております」のアナウンスが流れる。これも過去に比べれば、急速に、圧倒的に増えたケースのように感じています。


理由を想像したとき、前者に関しては、分かるように思います。それは、「問い合わせの電話というのは、面倒くさいものが多い」という事実を、接客業をやっている身として、知っているからです。


例えば飲食店の例で言いますと。

飲食業の経験のない方からすると、飲食業の電話対応の基本とは、予約の受付であって、それも、電話を取ったら、「もしもし、〇月〇日、〇時に、〇名で予約したいのですが」「かしこまりました。ありがとうございます」で完結するものだと、思われているかもしれません。


実際には、そんなきれいに簡潔に終わる電話ばかりでは、全然ないのです。


詳細に書くとまた長くなるので省略しますが、飲食店の電話対応というのは、本当に労力を要します。本当に時間を割かれます。それくらい、「きれいで簡潔でない」電話が、たくさんかかってきているものなのです。


話を戻すと、


企業も、そういう「きれいで簡潔でない」問い合わせが、日常多い、あるいは多くなってきていた、のではないかと、私は想像していたのです。


そもそも、そういう対応労力を減らすために、FAQ(よくある質問)を用意していても、まあほとんどの人は「読んでいない」。誰もが疑問に思いそうなささいな質問、だからFAQを読んでくれさえすればすぐに解決できるような疑問、それらに対する人的な電話対応業務が、毎日あまりにも多い。しかもその電話が、なぜかいちいち長引く。これは、「業務内容に電話対応が含まれている職種」の人であれば、誰でも想像に難くはないことだと思います。ユーザーが、自分で労力をかけて「情報を取得する」「説明を読む」「理解しようとする」という行為が、なされなくなってきている。


そしてもうひとつの話、「通話内容の録音を知らせるメッセージ」。表向きは、「通話品質、サービスの向上のため」とアナウンスされますが、私はあまりそう思っていませんでした。面倒な電話がかかってきたときのための、「証拠残し」ではないかと感じていたのです。

コールセンターのオペレーターの会話全てを確認して「もっとこういう言葉遣いをしたほうがサービスが良くなるな」などというフィードバックを日々しているとは、想像しづらいです。おそらく、対応に苦慮するような電話が増えてきたため、相手に対する脅しという意味も込めて、「全て録音してます宣言」が増えてきたのではないかと、私のただの主観ですが、感じていました。


これが、「数年来、なんとなく気になっていた」ことで、


「特定のある仕事に従事している人たちだけが、なんとなく『めんどくさい電話が最近増えてるなぁ…』と、水面下で確かに進みつつある、不気味な社会の動きを感じ取っているのではないか」


ということでした。


このあたりは、先に述べたように、根拠としては薄いというかほとんど私の感覚的な直観にすぎないので、この仮説が正しいかどうかはあまり重要ではないのですが、


しかし少なくとも、これだけ「カスハラ」が社会問題化している昨今、その周辺にある「カスハラ」未満の「迷惑」までをも含めた行為の総量の、年を経るごとの増加、という現実は、ある程度事実として正しいのではないかと言えそうな気がします。特に、ここ10年とか、そういう短い間に、急速に進んできた変化のように感じていて、もしそうだとすると、そこにはやはり現代のこの社会の構造との、因果関係が仮説として立てられるように思えるのです。


その背景には、何があるのか。

私の仮説としては、大きくは二つあって、


一つは、「ここ数年で増加してきた原因」として、



① 世界全体の潮流として、テクノロジーの進展が加速させてきた、「個人ごとの欲求と便益に対し、個人ごとにカスタマイズされた形で充足・最大化する」ことを目指す「『オンデマンド』のイデオロギー」



もう一つは、「ここ数年での増加」とは別に、もともとの「思想的な基盤」として、



② 古くから日本社会の奥深くにずっと潜み続ける、「どちらのほうが、立場が上か、下か」という、人間関係を規定する考え方の習慣 



のことを、考えているのです。


(続く)




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