top of page

【カフェ業態を始めた今、考えていること ③〜エッセンシャルワーカー問題から敷衍して、現代社会の構造的問題を考える〜】

(つづき)


ひとまず飲食業界の話は一旦置いておいて、話の入口として採り上げたいのは、医療・介護福祉、輸送・配送、日用必需品の販売、ごみの収集・処理、などの、本当のエッセンシャルワーカーのことです。


コロナ禍が始まってから初めて、それらの職種がいかに我々の生活にとって必要なもの、重要なものなのかが、意識されるきっかけが生まれました。

それと同時に、そういった職業に対して、今までいかに社会的に敬意が払われていなかったのか、そういった職業がいかに相対的に低賃金なままであるのか、ということが、問題なのではないか、として、世界中で話題になるようになりました。


最初に明確にしておきますが、飲食業もそれに含まれるべきだ、みたいなことを言おうとしているわけではありません。飲食業の話は、一旦ここでは、関係ありません。論理は、ここから違う方向に向かいます。


今回は、過去の長文と比べても、けっこう回り込んだ論理展開になっていくので、誤解を招く可能性があるというか、たぶんこういうことを最終的に言おうとしてるんだろうなという予断を途中のどこかで与えてしまうと、本来言おうとしていることとはけっこう違ってきてしまう可能性があります。話の進め方は最後の最後まで、慎重にする必要があります。


一旦、大きく話が飛躍します。かなり大上段な話を持ち出します。でもそれが最終的に、自分の店の「情報公開ポリシーの話」に戻ります。

そしてそれは、薄くではありますが、この社会全体に、関係する問題なんじゃないかと考えています。


そのあとに、とんかつ屋はどうするつもりなのか、という、内実の話に入っていきます。


かなりまわりくどい話になりますが、今ここで(2022年7月の社会情勢下で)こういう話をすることに、なんだか少し意味がありそうな気がするので、書いてみることにしました。

そしてそこまでまわりくどく周囲から埋めていかなければ、本質にたどりつけないと考えています。


さて結局、なぜそういったエッセンシャルワーカー(本当に必要な職業)が、その重要性にも関わらず、そういう社会的立場のままなのか。


これはつまるところ、端的に言ってしまえば「キャッシュフローベースで賃金が決まる」という資本主義の論理が、(ミクロな)「経済」の論理の中だけでなく、(マクロな)「社会」のかたちの中にまで、浸潤(しんじゅん)してきてしまっているからだと思うのです。


(つづく)


閲覧数:21回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2024年、年初の思い 完結編~「とんかつカンティーヌ+」から、一周まわって、再び「とんかつカンティーヌ」へ…

1月15日の投稿、2月1日の投稿と続いた、 2024年の「年初の思い」表明のブログの、第三編、最終話です。ついに。すでに2月も半ばですが。 どうーしても文章というのは、書くのにいちいち気合が必要というか、時間的にも体力的にも精神的にも、文章を書くモードとも言うべき条件をそろえられたときにだけしか書けないという自分の性質がありまして、どれほど「今後はもっとライトに書きます」と宣言しても、なかなか簡単

頑固さが溶けていく瞬間…頑固なこだわりを、口にしたとき

さてブログ再開!と先日宣言して以来、初の投稿となります。 以前よりもっと、ふと思いついたことを日記のように、ライトに書いていけるように心がけたいと思います。そうでないと読む側にとってあまりに重すぎますし、書く側にとっても労力がかかりすぎます。読む方書く方ともに、持続しなければブログの意味もなくなってしまうのでしょう。 さて最近思ったこと、気づいたこと。 頑固だと自分で認識しているその頑固さが、溶け

bottom of page