「日本一、文字の多い飲食店」を
標榜するとんかつカンティーヌの
Concepts
&
Philosophy
そのコンセプトと哲学。
世界観、人生の価値観。
倫理観と美意識。
豊かさとは何か。
幸せとは何か。
そして、人間とは、なんなのか。
新しい飲食店の形「カンティーヌ」
当店は、2019年4月9日に個人事業としてオープンした、とんかつのお店なのに、従来のとんかつ屋とは全く異なる、新しいスタイルのとんかつ店の形…
「とんかつカンティーヌ」です。
一風変わった経歴のフレンチの料理人が考えた…今までになかった、全く新しい外食体験の場。それはただ単に、「おしゃれな内装のとんかつ店」などといった、上っ面のものではありません。
私には、並々ならぬ思いがありました。その思いのために、過去に手にした色々なものをなげうってでも、この店の開業のために、死に物狂いで邁進してきました。
そしてその思いは、開業し、年月を経て、まごうかたなき信念となりました。
社会のために、世界のために、そして地球のために、料理の仕事ができることは、もっとあるはず。
ここは、そのとんかつカンティーヌのコンセプトと哲学、存在の理由と意義について、私のありったけの思いを込めて、「日本一、文字の多い飲食店」として説明するページです。
目次
-
「カンティーヌ」とは
-
店主は、何を目指しているのか
-
事業理念「食を通じて、社会を豊かにする。世界の問題を、考える。」
-
「ゆめみるこぶた」という店名に込められた意味
-
「タバコに関するポリシー」について
-
開業時(2019年)の、記念碑的「思い」
-
コンセプトのキーワード集
-
「かわいい」
-
「自然」
-
「肉より野菜」
-
「流行に流されない」
-
「日本の食文化」
-
「お酒なしでも、問題なし」
-
「脱タバコ社会」
-
「健康・健全」
-
「アンチ・フーディーズ」
-
-
こんなときのための店
-
店主は、何者なのか
-
-
とんかつカンティーヌの歴史
序 常に変わり続けるとんかつカンティーヌ
第1章.「カンティーヌ」とは
1. これからの社会に、必要とされる食のかたち。
「カンティーヌ」とは、フランス語で「食堂」のこと。日本語の「食堂」という単語ほど、ありふれた日常のニュアンスではなく、「フレンチレストラン」と表現するほど、敷居高くもない…
カフェのような居心地の中で、ちょっと豊かな自分だけの時間が、ゆったりと流れる…
「空間はカフェ、使い方は食堂、体験はレストラン。」
というコンセプトを、あえて聞き慣れないこの「カンティーヌ」という言葉に、込めました。
「呑み」の場ではなく、「ちゃんとした食事」の場。社会には、これが不足していると思っています。ちゃんとした食事には、人間にとって大切な、あらゆるものが含まれていると考えています。
とんかつカンティーヌが提供したいのは、我々の生活を、精神的、文化的に、豊かにするための、「食」。そして、日常の中で疲弊する身体と心に、健康と、元気を、取り戻させてあげられるような、「食」。
「飲み、食い、騒ぐ」という、快楽主義や享楽主義のための「食」では、ありません。
いつでも、あなたにとっての「使い方は食堂」な店。そんな気軽さで入れるのに、決してただの「定食屋」ではない、「レストラン体験」を届ける店です。
たっぷりの野菜と、良質な蛋白。バランスの取れた栄養、ゆっくりと時間をかけたカンティーヌの食事は、
あるときは、ちょっと奮発、自分へのご褒美。
あるときは、身体を調(ととの)える、今日の疲れのリセット。
こんなちょっとだけ上質な非日常を、あなたの、毎日の日常の中に。
特別な日も、特別ではない日も。今日のあなたの、元気と健康をそっと支える場でありたいと、願っています。
2. 住宅街に立地しているからこその、「近所に、こんな店があってよかった!」の店。
ひとつの店でありながら、日常の中の様々な異なる用途や場面に、対応できる店。
日常の生活の中には、いろいろな形の「食」の場面があります。一人の同じ方であっても、日々、様々な場面と用途で、様々な「食」を必要としながら、我々は誰しも、生活しています。
とんかつカンティーヌは、そんな異なる「食」の動機、用途を想定した、それぞれの場面のために最適化された複数のメニュー形式を備えているという、独特の営業形態をとっています。
この町で暮らす方の、生活の中の様々な場面で、使ってもらえる。こんな時にはこの店、そんな時にもこの店。
こんな店が、近くにあってよかった!と、思ってもらえること。それが、とんかつカンティーヌが住宅街に店を構えた、その理由なのです。
3. カンティーヌの食事とは
3-1. 提供したいのは、「とんかつ」ではなく「体験」。
誰しもの日常の中に、「レストラン体験」という豊かさを。
「空間はカフェ、使い方は食堂、体験はレストラン。」
とんかつカンティーヌのコンセプトの根幹をなす、キャッチフレーズです。
当店は、「いわゆるとんかつ屋」ではありません。また、料理が一式、お盆に載ってきてそれで終わり、という「定食屋」でもありません。
いえ、しいて言うならば、もっと豊かな、新しい形の「定食」を、提案しようとしています。
「定食」とは、必ずしも「早さ」を、その概念の中に含むものでなければならないとは、考えません。
とんかつカンティーヌでは、喧騒から離れ、ゆっくりと非日常の感覚に浸っていけるように、時間も一緒に味わっていただくことを目的とした、独自の料理提供の仕方をしています。
これは、いわゆる「コース料理」とも、異なっています。「コース料理」ほど腰を据えて臨む必要はなく、重くなく、時間かからず、それでいて「いわゆる定食」よりは、はるかに豊かな食事をしたという気分になれる。とんかつカンティーヌだけの、「食堂以上で、レストラン未満」な、オリジナルのお食事のスタイルです。
「フレンチレストランの楽しみを、あの豊かな気分を、この社会の中のたくさんの人に、知ってもらいたい。」
フランス料理の世界でずっと修業をしてきた私には、この強い思いがありました。
もちろんそれは、成金趣味や俗物趣味、フランスかぶれなどという意味の「フレンチレストランの楽しみ」では、ありません。
世間の喧騒から切り離された、あの静かで落ち着いた空間。ゆったり流れる時間。
「モノの違い」を実感させてくれる、器やお皿、調度品。
そして、プロの料理人の技術に裏打ちされた、日常食のおいしさとは「全く異なるおいしさ」の、料理。
それらすべてを、一貫した「食体験」というトータルな付加価値として体感させてくれる、サービス。
(※サービス=「接客、もてなし」を総合的に意味するレストラン用語)
こんな食事というものが、あるのか。
若いころ、初めてちゃんとしたフランス料理店で食事をしたときの感動を、今でも覚えています。入店し、案内され、席に着くと、サービスマンが、まず笑顔でグラスに水を注いでくれた、あのときの感覚。
「ああ、これから、レストランの食事が始まるんだ。」
そして手渡された、その日のメニュー。衒い(てらい)も外連味(けれんみ)もないその所作から、一気に非日常の世界に引き込まれたことが、忘れられません。
こんな感覚が、誰しも、日常の中で味わえるような世の中であったら。
フレンチレストランという特別な場でなく、もっと生活の中に溶け込んだ、それでいて非日常を味わえる、こんな感覚を味わえる「場」が、社会の中に、もっとあったら。
きっと、この社会は、もっと豊かに、美しくなれるはずだ。
ずっと、そう考えてきたのです。
「肩肘張らないフランス料理」をコンセプトにしたフレンチレストランは、今や、けっこういろいろなところに存在しています。しかし、私の考えはそれとも、異なっています。
いくら「肩肘張らせないように」アットホームなフレンチレストランであっても、やはり「フランス料理」は「フランス料理」。「フレンチレストラン」は「フレンチレストラン」なのです。そこには、日本社会にはどうしても馴染み切れない、ハードルがある。敷居を取っ払うことは、やはりできないのです。その根強い心理的距離感を、フランス料理の世界で生きてくる中で、私は感じていました。
そう。
「フレンチレストラン」である必要はない。
そのようにカテゴリー化する必要はない。
重要なのは、あの「空間」と「時間」、そしてサービス(接客)。それこそが、ガストロノミーフレンチの世界で修業してきた者だけが持つ、料理だけにとどまらない知見、つまり専門技術なんだ。それは「フレンチレストラン」という「特別なカテゴリーの店」でなくとも、有用なはずだ。
そうして生まれたのが、フランス料理の技術を用いて作る料理を提供しながらも、本当の主役はこの「食事体験そのもの」であるというコンセプトの、「とんかつカンティーヌ」なのです。
店の、名目としての料理の主役はとんかつということになっていますが、実際には、とんかつと全く関係のない、フレンチシェフだからこそ、と言える様々な料理も楽しんでいただけるよう、バリエーションをそろえてあります。
「空間はカフェ、使い方は食堂、体験はレストラン。」
空間はカフェみたいで、気分的には食堂使いできるのに、でもそこで得られる体験は、なんだかちょっとしたレストランにでも来たみたい…
「レストラン」と呼ぶほど敷居は高くないけど、かといってただの「定食屋」とは、明らかに違う…
「カンティーヌ」とは、そんな、「食堂以上で、レストラン未満」をコンセプトとした、私が考えたオリジナルな飲食店の形態です。
とんかつカンティーヌは、単なる「飲み食いの場」では、ありません。
さらに言えば、「おいしい」という、言ってみれば「感覚の快楽」だけを提供するための場でも、ありません。
よく聞くように、「すべては、お客様にとっての『おいしい』のために」とは、私は、言いません。
店主がやらなければならない「すべて」は、もっともっと、たくさんあります。
ただ「おいしい」「うまい」だけでは、「享楽」「快感」の域を出ない、というのが、私の考えです。「享楽としてだけの美味」は、時と場所、そして人によっては、単なる品のない快楽欲求主義と、紙一重です。
「おいしい」だけでない、それ以上の意味と価値を持つ食事の場となることを、とんかつカンティーヌは、目指しているのです。
もともと、料理というのは、そして店というのは、その作る人を映し出す、鏡のようなものです。
プロの料理人で、あればあるほど。
この店の店主は、何を美しいと考え、何を美しくないと考えているのか。
その美意識と倫理観と人生観の土台の上に、生まれる料理。食事。店そのもの。
その評価、賛否は、ひとによってもちろんさまざまに異なります。
私のこと、私の店のことを、極度に嫌う人も、存在しています。
しかし私は、それを感じさせる料理を、食事の場を、そしてそれに共感してくれる方に対しては、それをもって五感の全てに響かせるような感動を、
それをこそ、作りたいのです。
足を踏み入れたその瞬間から、店を出るそのときまでの、すべての時間を、「トータルなお食事体験」という付加価値として提供する、そのすべてをもってひとつの「カンティーヌでの食事」として体感してもらう、そのことを目指している店なのです。
時季によって変化する店内の意匠やサービスの遊び心、
季節の移ろいとともに、少しずつ変わってゆくお皿の上の表情や逸品料理、
その世界観を体現する背景に流れる音楽、
わざと余白に意味を持たせている、独特の時間の流れ…
「restaurant」(レストラン)という言葉の語源は、フランス語の「restaurer」(レストレ=元に戻す、再び元気にさせる)という語から来ています。
それは必ずしも、「今日は外食に行こう!」という、ワクワク、ウキウキな、ハレの日のための食事、ということだけを意味するわけでは、ありません。
日々溜まった疲れを癒したいとき、いつもの社会の喧騒から一歩離れたい気分のとき、乱れがちな食生活から健康を見直したいと思ったとき…
とんかつカンティーヌで食事をすることが、ただの「おいしい」を越えた価値として、お客様を「restaurer(レストレ)」することができたら、お客様が「今日の自分を、restaurer(レストレ)するために」、と足を運んでくれるような店であれたら、
それこそがとんかつカンティーヌにとっての、この上ない喜びと、存在の意味になるのです。
「とんかつカンティーヌの紹介」ページからいらした方
戻る
3-2. 核は、「野菜&フレンチ」。
「おいしい」と同時に、「健全」と、「健康」を、提供したいのです。
たっぷり野菜と、クラシックなフランス料理の技術。それが、当店の全ての料理の、核となっています。どの料理にも、数えきれないくらいの種類の野菜と、素材の味を最大限に引き出すためのガストロノミーフレンチの技術が、惜しみなく使われています。
技術的な側面から見れば、当店の料理はまごうかたなき「フランス料理」。
そして、あくまで「ほどよい量」にとどめているとんかつのサイズに比して、ボリューム感で圧倒的に上回る「野菜」は、むしろ当店の料理における、事実上の主役です。
グリーンサラダにも、種類豊富な「季節の焼き野菜」にも、それぞれの旬素材の味を最も引き出すための、緻密で繊細なフランス料理の様々な火入れとアセゾネ(調味)の技術が、駆使されています。
おいしい野菜をたくさん食べたい、と思うことがあっても、普通の外食の場面では、満足のいくような野菜を食べられる機会は、なかなかないかもしれません。おいしい野菜というのは、「原価」「技術」「手間」の全てを掛け合わせると、実はとても「高くつく(容易には提供できない)」ものなのです。これは、ご自宅でいつもお料理をされている方であれば、誰でも感覚的にご存じのことなのではないかと思います。
だからこそ私は、「お金を払う価値がある」と思ってもらえるような野菜を、たっぷりと提供したいのです。
普段目に触れないような珍しい種類のものまでを含んだ、様々な野菜を、めいっぱい、フレンチの技術で。
最近野菜を食べていないな、家で野菜を調理するのは大変だな、そんなときのための、カンティーヌです。
とんかつという料理が、これほどまでに健全で、健康な料理になるんだということを、ぜひ体感してみてください。
「とんかつカンティーヌの紹介」ページからいらした方
戻る
3-3. 「とんかつ」ではなくなった、とんかつ。
これこそは、「フレンチとんかつ」ではない、「とんかつフレンチ」という料理。
大きさ控えめ、むしろボリューム比率では野菜のほうが上回るものの、その「存在感」と「満足感」は、充分すぎるほどに十二分。
その位置づけが、当店のとんかつです。
私は、食べたあとに胃もたれするような料理を、作りたくありません。お客様に、そのような思いはさせたくありません。そのための、健全で健康的な、最適サイズ。それでいて、本当においしいとんかつ。それを実現したいと考えました。
と…「とんかつ」という言葉を使いながら言うのもなんなのですが、とんかつカンティーヌのとんかつは、ある意味では、もはやとんかつではありません。
当店のとんかつの調理方法は、普通のとんかつのそれとは、全く異なっています。
肉の下処理方法から、肉のカットの仕方(独自の形状)、塩の仕方、衣(パン粉)の付け方、火の入れ方(揚げ方)。
何もかもが違います。
私は全てを、フランス料理の技術と、フランス料理の考え方で作っています。
食材の扱い方、食材の活かし方、そのために必要な、科学的根拠に基づくフランス料理の知識と調理技法。
その結果としてできあがるのは、フランス料理として作られた、「『(いわゆる)とんかつ』ではないとんかつ」となります。
私は、自分のとんかつを、フランス料理の料理人としての眼から見た、「肉料理」と考えて作っています。
緻密な塩と火入れの技術によって最大限に引き出す、素材が持つ本来の味。
しっかり肉を食べているという食べ応えと満足感を感じられる食感。そのために必要な形状。
カリッとした食感のコントラストを演じ、しかもなお存在を主張しすぎない、薄くてしっかり揚がった衣とのバランス。
その全てを満たしつつ、胃もたれしない、健康的、健全な量。
肉のおいしさの相乗効果となる、たっぷりの付け合わせ野菜。
フランス料理の技術と、フランス料理の考え方に基づく、フランス料理のメインディッシュとしての「肉料理」の一皿。
なんとなく「フランス料理チックな」という意味を表す「形容詞」としての「フレンチ」という言葉を頭に付けた、ナンチャッテな「フレンチとんかつ」では、ありません。
「とんかつ」という料理、今まで「とんかつ」とされてきた料理、それを、「フランス料理」という意味を表す「名詞」である「フレンチ」に昇華させた料理…
「とんかつフレンチ」でありたいと考えて、私はとんかつを作っています。
「とんかつカンティーヌの紹介」ページからいらした方
戻る
第2章.店主は、何を目指しているのか
1. 事業理念「食を通じて、社会を豊かにする。世界の問題を、考える。」
「食を通じて、社会を豊かにする。世界の問題を、考える。」
これは、当店の事業理念です。
私には、思いがありました。それは、「食」は、この全世界にちらばり絡まり合う、あらゆる問題とつながっている、ということ…富の偏在、健康と飢餓、美意識と道徳、地政学と安全保障、生きとし生けるすべての生命と、地球そのものの尊厳。「食」の問題を考えることは、人類にとって、そして人類以外のあらゆる生命にとっての、世界の問題を考えることにつながっているのだ、という思いです。
そして、「世界」という、地球規模の最も巨視的な視座に立つ前に、
まず我々の生きる日本の社会の、「豊かさとは何か?」という、もっと身近なところにある問題に、「日常の食」の在り方というものが、密接に関わっている、という思いです。
この数十年の間、日本という国は、デフレ社会の道を、ただひたすらに走り続けてきました。ただ、「安いこと」に価値がある、というパラダイムの社会です。「『安いこと』に価値がある」…パラドキシカルで皮肉に満ちた、心が虚しくなるような命題です。
とはいえ、そこまで言うほど何もかもがデフレばかりだったとは認識されていない方も、いらっしゃるのかもしれません。あるカテゴリーのモノの物価は上がってきていたし、新しいテクノロジーやサービスは次々と登場していたし、合わせて消費そのものも総体としては拡大してきていたし、企業や業界によっては大きく成長してきたビジネスもたくさんある、と。
しかし…残念ながら、失礼なことを言うようですが、それは「社会において、『勝ち組』の側(がわ)にいる者の目」から見た評価のように、私は感じています。経済的にある一定程度以上の安定と安心を得ている方は、ご自身がその「成長できた世界」の中にいるがゆえに、それを体感することができる機会に、相対的に多く恵まれてきた、という構造になっているに過ぎないように、思えてならないのです。
私ももう、飲食業界の世界に足を踏み入れてから、だいぶ長い年月が経ちました。そして「食べるもの」「食べること」に関わる情報と言説に、常にアンテナを張っているという職業の立場から、この日本をずっと見てきました。
その結論として、「なんと、日本は貧しい国に、なってしまってきたのか…」と、感じざるを得ないのです。それは、個々人が経済的に余裕がなくなってきたとかいう意味ではなく、文化的、精神的な意味において、「貧しい」としか表現できないような、そんな切なくてわびしい感覚なのです。
デフレ社会とは、物価という尺度での客観的なデフレという意味を含むのはもちろんですが、それ以上に、「精神的なデフレ」に覆い尽くされてしまった社会、という閉塞感を感じています。精神そのものが、「よりよいもの、より美しいもの、より豊かなもの」を求めるのではなく、「より安いもの、よりお得なもの、よりコスパのよいもの」を志向しているのです。
私には、このデフレ社会の進行を導いてきたことの大きな因子のひとつが、「食」の世界にあるように、思えてなりません。なぜなら、「食(食べること、食べるもの)」という営みは、言うまでもなく我々の生活の中で、最も身近で毎日繰り返される、経済活動だからです。
毎日誰もが、お金を払って消費する、「食」。
その価格的な相場感、その品質的な相場感、そのふたつのバランス。全ての人が毎日必ず関わる、最小単位にして最頻の経済価値水準、これは、我々の生活の中におけるあらゆる価値観の中に、錨(いかり)を下ろすような役割を果たすもののように感じています。直接的な相関はなくとも、意識していることもなくとも、それは必ず、私たちの様々な価値判断の基準の中の、どこかに陰を落としている。直観にすぎないのですが、そう感じられてならないのです。なぜならこれこそが、家よりも、衣服よりも、「生きるために最も必要な」水準を、かたち作るからです。
皆様はご存じないと思います。この数十年、日本社会に生きる人々が皆、いかに安い食材を用い、いかに安い人件費で作られ、いかに安くお得に見えるかということを目的として作られた食べ物を、外食という限定的な意味ではなく、ありとあらゆる場所、ありとあらゆる場面で、食べさせられ続けてきたのか。そしてその相場、その水準を、「こんなものなんだろう」という「普通」のものとして、受け入れるようになってしまってきていたのか。
詳細に話すには長くなりすぎてしまいますし、他者を悪者にするような暴露話みたいになってしまってもよくはありません。それはここで目的とすることではありません。
ただひとつ言いたいのは、私は、そんなデフレ社会の日本をもう終わりにしたいということ、そのために、物価の問題だけでなく、「精神的に豊かな社会」を作っていかなければならないということ、そしてそれに、「食」が、「食の仕事」が、大きく関わることができる、関わっていかなければならない、と考えている、ということなのです。
とんかつカンティーヌゆめみるこぶたは、こんな小さな規模からですが、そのための一端の力となることを目指して、立ち上げた店なのです。
2. 「ゆめみるこぶた」という店名に込められた意味
「ゆめみるこぶた」…この店名に込められた意味は、開業してから5年以上もの間、公に語ったことはありませんでした。「なぜ、ゆめみるこぶたなんだろう?」と思われたことがある方も、そこそこいらっしゃるのかもしれません。
開業したそのときには…自分の中で込めた意味は置いておいて、お客様には、「とんかつだから、こぶたなのかな?」くらいに思っておいてもらえれば、それでいいかな、と思っていました。この名前に込めた意味は、当時は、外に対して語るものではなく、自分の内に向けた、自分に対する戒めなのだ、と考えていたからです。それに、あまりこれをお客様に対して語りすぎても、食欲を減退させることにつながるかもしれないという思いも、ありました。
しかし、開業から年月が経ち、この店が、この事業が、いったい何のためにこの社会に存在しているのか?そのことを、積極的に語るべきだと自分が考えるようになってきている、という変化を自覚したとき、この「ゆめみるこぶた」という店名に込めた意味も、やはり明らかにしよう、と考えるようになってきていました。
「こぶた」は、実は、とんかつという料理そのものとは、あまり関係していません。というより…もっと広く大きく、抽象的で象徴的な意味として、関係しています。
「こぶた」を語る前に、「豚」…豚という動物。
これを、私は、人間にとって「食糧」とされる、ありとあらゆる地球上の命の、「象徴」として、店名に用いているのです。
ご存じでしょうか…豚は、自然界に、野生の動物として、存在しません。豚は、太古の昔、人類が、猪という野生動物を、「食べるためのもの」として、家畜化したものです。自然の世界に、自然の摂理として紡がれている命の系譜としては存在せず、ただ「人間に食べられるためだけの存在」として、人間の手によって、「生産」されている命なのです。
牛も鶏も、ほかどんな家畜動物も、野生の種は存在します。豚だけが、正真正銘の「人間の食糧としてのためだけの種」です。こう聞くと、とてもショッキングですし、とても悲しく思えることかと思います。
しかし、それがあったがゆえに、人類は、貴重なタンパク源を、そして栄養だけでなく美味を、安定的に確保することができた。なくてはならない存在でしたし、それをただ単に残酷な悪だと考えることは、少なくとも現時点においては、正しくはないと思います。
とは言っても…「食糧としてのためだけの命」。悲しい響きです。
人類は、歴史の中の長い間、ごくごく本当に最近になるまで、ずっと飢餓に苦しんできました。人類の歴史は、飢餓との戦いの歴史なのです。豚の生命の尊厳を考えるほどの余裕は、長い間、なかったのです。またキリスト教文化圏の世界においては、その宗教的な宇宙観からも、豚はあらゆる生命の最下層の存在みたいなふうに、ずっと考えられてきた経緯というのもあります。そんなわけで、豚は、ただ食べられるためだけの存在であり続けてきました。
かわいそうなものです。豚は基本的には、愛玩動物でもありません。鶏の卵や、羊の毛や、牛の乳のような、産出する何かに需要があるわけでもありません。ただひたすらに、「肉」という存在でしかないのです。ある程度まで育ったら、殺され、バラバラにされる運命しかない命なのです。この地球上に、豚として生まれ落ちる生命の99.99%以上は、みなすべて、数か月だけ生きたのち、殺されるしかないのです。天寿を全うすることは、ない命なのです。
豚は本来、とても賢い動物とされています。好奇心が強く、あちこち動き、走り回り、いろいろなものに興味を示すそうです。教えれば「お手」くらいは覚える、という話を聞いたこともあります。きれい好きで、水たまりで身体を洗ったり、繊細で、ストレスに弱かったり、という特性もあります。
おぞましい話になるので詳細には書きませんが、そんな豚を、現代の人類は、最も効率よく増やし太らせるために、命を命とも思わないような環境で「生産」するシステムを確立し、拡大してきました。ここ数年でようやく、「家畜福祉」という概念が生まれ、拡がってきましたが、まだまだ一般的な市民意識の中には浸透していませんし、特に日本という国は、世界の中では相当に取り組みも意識レベルも遅れているとされています。
そんな、豚という動物…豚という、生命。
これが、私の中では、人間にとって食糧とされる地球上のありとあらゆる命の、「象徴」なのです。
こぶた…豚の赤ちゃんを、見たことがあるでしょうか。悶絶するほど、かわいいです。上に書いた通り、好奇心旺盛なので、走り回り、はしゃぎ回るのが大好きです。その行動を眺めていると、この命と、人間の子どもと、一体何が違うのか、と思ってしまうほど、愛おしい気持ちになります。
こぶただって、生まれたときは、きっと思っているはずだと、思うのです。人間のように概念としてではなくとも、観念を持ち合わせてはいなくとも…
「幸せに生きたい」と。
おなかいっぱいに食べ、遊び、走り、子孫を残したいと。それは、生まれてきた全ての生命に与えられた、幸福の希求という本能であり、尊厳であると思うのです。
私は、この人類によって構築された生産システムの中で流通してくる、豚の肉を調理し、料理にしています。そのことをしばしば考え、想像します。
それを悪だと断じることはできないと思います。全員が肉食をやめてベジタリアンになるべきだとも考えてはいません。
しかし…こうして屠(ほふ)られ続ける多大な命の犠牲の上に成り立っている、我々人類の生活。そのことの意味については、考えてみるべきだと思うのです。
意味を考えるということは…「この範囲までは、意味がある。しかしこれ以上には、意味がない。だから、意味のない消費やムダは、控えるようにしよう。」という思考の筋道の扉を開きます。意味もなく、無制限に消費や浪費、拡大再生産と経済発展を続けなければならない宿命など、本来はなかったのではないか、という、持続可能な考え方の地平に、自然に降り立つことができるのではないかと、私は考えるのです。
「どんなこぶたも、どんなあらゆる生き物も、幸せを夢見て生きている。」
これが、自分に対する、忘れてはならない戒めとして、私が店名に込めた意味なのです。
「とんかつカンティーヌの紹介」ページからいらした方
戻る
3. 「タバコに関するポリシー」について
公共の場…飲食店における、喫煙という問題
「社会を豊かにする」ために、自分の判断で決めることができる範囲の中で、これはまずまっさきに決断し、毅然として行動しなければならない問題、と考えていました。このことについて、ずっと長いこと、もう本当に、ずっとずっと前から、考え続けてきたのです。自分が店主として責任を負っている店として、この問題を、どうすべきなのか。
人からどう見られるか、何を言われるか…それに臆することなく、自分が「社会を豊かにするために」正しいと考えること、できると考えることのひとつひとつ、未来への一歩一歩を、この小さな店で、実践していこうと考えています。
別ページを設けて詳細に説明しておりますので、こちらをご参照ください。
4. 開業時(2019年)の、記念碑的「思い」
ここで一節、差しはさむ形で、ご紹介しておきたい文章があります。
2019年、開業したそのときに、とうとう独立したという自分の思いを、書き下ろしたものです。
実を言うと私自身、開業後何年もの間、半ば忘れていたくらいに放置していた文章だったのですが、改めて読み返してみたところ、とても、良いことを書いていたなあと、自分ながらに思いました。
何が良いと思ったかというと、他人(ひと)のことを何か言うのではなく、自分の思いを、ただまっすぐに、ひたむきに、前向きに発信し、そこになんの外連味(けれんみ)も感じさせない、すがすがしい文章に仕上がっていたからです。
それから数年。
新型コロナのパンデミックがあったり、戦争がいくつも勃発したり、世界レベルで、いろいろなことがありました。
そして私自身の卑近なレベルでも、たくさんの、小さかったりそれほど小さくはなかったりすることが、いろいろと起こりました。社会は変わり、私も変わってきました。
その自分の変化の中には、必ずしも良いものとばかりは言えないものもありました。自分で事業を始め、経営を続けるという経験の中で、自分の内においても、目を曇らされたこと、見方を歪められたこと、判断を偏らされたこと、そんなことが、いくつも起こりました。それはもしかしたら、自分で一切の責任を負って商売をする、経営をする、という、雇われの立場のときには向き合ったことのなかった、シビアすぎる現実と自分の信念との間の葛藤の中で、ぶつかり合いすり減らされる負荷とストレスと、折り合いと自己正当化の結果として気づかされた、否定しようのない、醜い自分の人格の一面だったのかもしれません。
そのことが悪いことだったのかというと、「悪いことだったのだ」と断罪してしまうほどには、自己否定的に卑下するものでもないのかもしれません。なぜならそうした経験をもまた通して、その自分を乗り越える形で、さらに新しく自分は更新されていくものだからです。その経験がなければ、そうした自分をメタ的に認識し、新たな視野の地平を切り拓くこともまたできなかった。何も変わっていない自分しか、存在していなかったはずなのです。生まれたばかりの純粋で無垢な子どもも、社会の中の汚いことを知り、大なり小なりの世間ずれをしていくことでしか、大人になっていくことはできないのでしょう。だから、今の自分をことさらに否定するような、ネガティブな見方はなるべくしないように努めようと思います。
とはいえ、その「開業したときに書き下ろした自分の思い」の文章を読み直したとき…そこに、ある面においては明らかに今の自分よりも素晴らしかった、当時の自分の姿勢を見ました。先に書いたように、それは他者のことをああだとかこうだとか言うのではなく、ただ自分が自分の足でとうとう立つことができたことの歓びと感動、その前向きな気持ちに満ち溢れた、未来に射す光だけを見ている文章だったからです。
そう。私には、思いがあった。その思いがあって、人の下で働くのではなく、独立し、自分の店を持とうと思った。自分の店を持つことで、この社会の中に、成したいと考えていることがあった。そういう夢を抱いていた。
そのことを、思い出させてくれる文章でした。
(以下原文ママ)
____________________
~2019年 開業時の思い~
この独立開業に至るまで、本当にいろいろなことがありました。この店には、私(店主)の半生に亘る思いの全てが詰め込まれています。
幼少期からの「食」に対する関心、
おいしいものを食べられるということの幸せの、
人間にとっての本源性への興味。
大学時代に没頭していた、人類の歴史を紡いできた哲学・思想の歴史、卒業後に足を踏み入れた、目を$マークのようにして利益を追求するビジネスのフィールド、
そしてそこから転身して、人生を賭けようと決意した、本物のプロの料理人の世界・・・
私は頑固で偏屈で思い込みが強く、権威におもねることを何よりも嫌う、決して万人受けしないタイプの人間ですが、それでも、自分が正しいと信じて突っ走ってきたこれまでの人生の結実の一段階として、このお店を通じて自分の哲学を形にすることができたことがうれしくてなりません。
コンセプトの全てに通底するのは、
”時代に対するクリティーク(批判)”
です。
「批判」という言葉は、日本語においてはネガティブなニュアンスがあり、「他人の批判ばかりする」などのように、良くない意味でつかわれることのほうが多いです。
しかし本来の、日本語の「批判」という単語に翻訳される以前のもともとの「クリティーク」という外来語は、決して他者を悪く言うことや欠点を論(あげつら)うという意味の言葉ではなく、客観的に分析をして、よりよくなることを目指すための建設的な批評・問題提起という意味であり、日本語の「批判」という言葉も、本来はこの意味であることが正しいはずです。
政治の世界で「野党の仕事は与党を批判すること」という言説がありますが、意味をはき違えて、非建設的な与党の揚げ足取りばかりにいそしんでいる一部の野党は、この意味で全く健全な批判者であるとは言えず、日本語の「批判」という言葉がとても浅薄に理解されていることの証左のように思えます。
時代は相変わらず混沌としています。
インターネットの登場によって「世界はすべてつながることができる」かのような夢が生まれ、それはスマートフォンとSNSの席巻によって、「誰もが瞬時にどこまででも手を取り合える」かのような、メリットだけを誇張した幻想にまで膨らみました。
しかし実際は、分断された価値観、細分化するグループ化と村社会化、匿名の暴力性、衝突する文化と歴史、自己以外への無関心、拡がるばかりの経済的・教育的・文化的格差など、世界と人類、国家と社会を取り巻く問題は今でも枚挙にいとまがありません。
自分が興味のある「情報」だけに恣意的・部分的にアクセスし、切り取り、興味のないものには触れることなく生活を営むことができる便利なツールが今や事実上の社会インフラとなったことと無関係ではないと考える立場を、私はとっています。
メリットがあるものには、ほとんどの場合デメリットも付随していますが、多くの場合、特にますます加速化するこの現代社会においては、
手っ取り早くメリットだけを優先して、その先に何が起こるかを予見しないままことを進めてしまうという趨勢が、ますます強まっているように思えてなりません。
「メリットも大きいけど、デメリットも大きい可能性があるから、すぐに飛びつかないで、よく考えてみよう」という、健全なクリティーク(批判)が欠如しているように思われるのです。
昔、私の好きだったMr.Childrenというミュージシャンの「終末のコンフィデンスソング」という歌の中に、次のような歌詞がありました。
さあ 油断して渡ろう
慢心して進もう
文明の恩恵の上を
たまに不吉な夢を見るんだよ
走っているのに 進まない
ひょっとしたら 実際に起きてることを
夢の中で知らせるメタファーかも
Mr.Childrenの桜井和寿さんは、ポップミュージックを通じて、社会の、世界の問題と向き合い、時に批判し、発信を続けています。
料理とは、「理(ことわり)を料る(はかる)」と書きます。食材と自然と生命の神秘が、そこにはあります。
太古の昔、人類が家族や仲間という文化的共同体を持つようになって以来の、「共に食事をする」という行為に込められた意味は、今でもそこに真実としてずっと秘められています。
そして現在、グローバルに交錯する需要と供給のネットワークの中に、絡めとられ、ひずみが生じ、しかしもはや抗うことのできなくなってしまった不均衡が蔓延する世界における、環境破壊、貧困、紛争など、多くの問題の背景に、「食」は関わっています。
人は、自然を、生命を食べなければ、生きていけません。
人は、物質的なモノをいくら手に入れても、決して満足感や幸福度が飽和することはない一方で、おいしいものを食べたという喜びと幸福感は、どんな時代でも、どんな地域でも、おそらく変化はありません。どんなに太古の昔でも、どんなに未開の原始社会でも、どんなに貧しい国でも、生まれたばかりの赤ちゃんでも、いまわの際を迎えようとしている人でも。
そして、人間だけでなく、あらゆる動物たちでも。
私は、料理を通じて、レストランという仕事を通じて、社会と、人類と、世界の問題と向き合い、戦っていくつもりです。それが、私が料理人になろうと決意した理由です。
とんかつカンティーヌゆめみるこぶたが、何がしか社会にとって意味あるものとなれるよう、毎日を一歩一歩歩んでいきます。
5. コンセプトのキーワード集
とんかつカンティーヌゆめみるこぶたの、重要な9つのキーワードです。
6. こんなときのための店
第1章「カンティーヌとは」の中で語ったように、とんかつカンティーヌゆめみるこぶたは、日常の中のさまざまな「食の場面」に最適化された、複数のメニューを持っています。
ぜひメニューページとご一緒に、ご覧になってみてください。こんなとき、こんな近くに、こんな店があってよかった!と思っていただけることを目指しています。
「リモートワークが定着してくれて、すっかり自分のペースで仕事がしやすくなったけど、問題が3つあるんだよな…うまい昼メシ、ちょっとした気分転換、それに最近少したるんできた、この腹…
気分転換になって、おいしくて、健康的な料理が食べられる店…時間は融通がきくから、そんな店が近くにあってくれると、ほんとありがたいんだが…


「ダンナは出社、子どもは学校、私は在宅、という、今日のこの貴重な一人時間…
こんなときに、思いつきでも飛び込める、ちょっとゆったりした気分でランチできるお店が、あるといいのよね…
「平日休の仕事だと、買い物したいときなんかは街が混んでないから、ほんとにいいのよね!しかも、『社会のみんなが働いているときに、ひとりのんびり優雅にランチ』なんてぜいたく気分を味わうこともできるし…
ただ問題は、そんな気分を十分に満たしてくれるようなお店が、ないこと!どこもかしこも、『昼ってのは、とにかく安くて早いのがいいものなんだ』みたいなランチメニューばっかり…
もっと、私みたいな人のためのお店、どこかにないの!?」


「たまにはちょっといいもの食べたいとは思うけど、コロナ以降、夜にわざわざ外食したいって気分にも、あまりならなくなったわね…」
「それでいいんじゃないかな…?むしろ、健全な生活サイクルになった気もするし…あるいはさ、週末のランチに、少しリッチなとんかつとかは?」
「いいわね!それ、健全なアイデア!(笑)」
「あ、もしもし、お母さん?今度、せっかくたまにうちまで来るんだから、 お昼、ちょっと奮発して、外食しようよ!その日、ダンナ、いないし!」
「あら。いいのかねえ…でも、あんまりちゃんとしたお店に行くのも、気疲れするし、しゃれたものも、食べつけないから…」
「大丈夫!ちょうどいい、とんかつのお店があるのよ!カフェ気分で入れるし、胃もたれしないから!ちょっと若い気分になれるわよ!


「今週の週末…妻と娘は、表参道で買い物とランチの予定、とか…
私にはぞんざいに、「なにか適当に、ちょっといいものでも、食べに行ったら」と…
……
ふふふ…
待っていたんだ…このときを…!」
「毎日の食事が、マンネリぎみ…もともと外食とかの習慣がなかった上に、すっかりリモート生活が定着しちゃったから…たまにはちょっと気分よく、お酒なしで食事だけできる、ちゃんとしてる系のお店、ないかな…」

「俺ももう中堅どころだし…仲間連中と、飲み屋で飲み兼メシとか、卒業したいんだよな…
もっと落ち着いた…こっそり大事にしておきたい、とっておきの自分だけの店とかあったら…

「一緒に手作りの料理もだいぶ慣れたけど、たまにはやっぱり自分たちじゃ作れないもの、食べにいこうか!
高級なものじゃなくて、落ち着いてちゃんとした食事ができそうな…
あんまり「呑み」な雰囲気じゃないお店、といったら…

「おいしいお酒と、おいしい料理…ここんとこ本当に、難しくなったよな…それなりの値段するのに、質はむしろ下がってる、みたいな思いをすること、ほんと多くなったからな…
「もう、安めの居酒屋に行く、っていう選択は、しなくなったわよね…安くったって、結局満足感がないんじゃ、実質的には損してるみたいなものだし…
「あのとんかつ屋ってさ、ほんとにとんかつ屋なのかな?なんか聞いた感じ、フレンチベースの料理がいろいろ楽しめて、食事中心みたいだけど、外から見ると、グラスにワインとか注いでる姿が、おいしそうなんだよな…そろそろ俺たちも、居酒屋中心という文化を、変えてみて…
「ダンナがいない、今日の夕食…帰ってから作るのも大変だし、外で済ませるにしても、この子には、変なものは食べさせたくない…野菜もちゃんと食べてくれるようになってきたし…そう、なら、あの店!ファミレスに連れていくより、絶対いい!


「コロナがあったおかげでダンナも家事をやるようにはなったけど、やっぱり毎日の料理は私の仕事よね…
ううー!今度、デザートつきで、カンティーヌでおごらせてやる!」
「契約ゲット!
がんばった私には、一人でサクッと入ってもちょっとリッチなレストラン気分になれるあの店で、スパークリングね!」


「なあ、今度、とんかつ食べ行こう!とんかつ!」
「え?脂っこいもの、最近食べられなくなってきた、って言ってたのに…それに、夜の定食屋は、実質的に呑み屋みたいものだから、好きじゃないって、前から…」
「違うんだ!全然違う!あの店は!フレンチの気分を味わいに行くんだ!野菜を食べに!」
「はぁ??」
「今夜の一人メシ…ラーメンじゃ一瞬で終わってしまうし…ザ・呑み屋はイヤなんだよなあ…チェーンの定食屋は安っぽいし…焼肉、ステーキもけっこういつものパターン…料理がうまいカウンター割烹とかがいいんだけど、予算5000円じゃ厳しい…野菜も最近摂ってないから、野菜いっぱい食いたいな…肉もなにか適度に、うまいのがあれば…安酒は要らないから、うまい酒、一杯だけあるといいな…
そんな店って、ないのかね?オレが、わがままなのか?」


「そろそろ、誕生日だね…レストラン、どうしようか…?」
「そうね…こないだのあのお店、けっこう高級店だったけど…正直、私、ちょっと居心地悪くって…お料理も、きれいなアート作品を食べてるみたいで、おいしいのかどうか、なんだかよくわからなかったし…」
「俺たちが、もう、今どきのグルメ文化の潮流みたいなものから、感覚的に、はずれてきたのかもね…。わざわざ、いかにもって感じのおしゃれな街に出かけるのも、おっくうになってきたし…ちょっと旬の季節感を感じられて、ちょっと普通よりおいしくて、ちょっと特別な日の食事、という気分にさせてくれさえすれば、俺たちにとってはいいんだけど…」
7. 店主は、何者なのか
これほどの思いを、これほど膨大な文章、文字数を使って書き続ける私は、何者なのか。何を考えて生きている人物なのか。そうお思いになるかもしれません。
ある人は、私のことを、ただの「変わり者」と表現します。からかう人もいますし、見下す人もいましたし、過去には私のことをバカにするために来店したという人もいます。
そのようにしか捉えない人は、それでよいでしょう。そんな人は、私の人生の眼中にはありません。そんな人であっても「お客様は神様です」とご機嫌を取ることはありませんし、そんな人の支払うお金を受け取りたくもありません。
私が何者なのか。
自分に関する情報は、2019年の開業以来、ある意図と信念があって、2026年まで、ほぼ一切伏せたまま、店を運営してきました。しかし、いろいろ考え続けた結果、未来を見据えてその方針も転換することとし、自分のプロフィールを公開しました。
私がどういう人物であるのかは、2026年6月にリリースされた「シェフの部屋」というページに、これまた膨大な文字数をもって、説明されております。
第3章.とんかつカンティーヌの歴史
序. 常に変わり続けるとんかつカンティーヌ
とんかつカンティーヌに通底する理念と、その目指している世界について、長いこと語ってきました。それらはずっと失われることなく、また発展的に進化、深化していくことを通して、これからもとんかつカンティーヌの哲学として、ともにあり続けるでしょう。
とはいえそのとんかつカンティーヌゆめみるこぶたも、開業のまさにそのときから、これほどまでの文章にして思いを発信しよう、というほどの熱量を持っていたというわけでも、実はありません。
そう、初めは、もっとささやかで、草の根で、ほのぼのとしたものでした。
こんなふうな思いを持っている自分が、住宅街の中でぽつんと小さな店を開いて、その近隣にお住まいの方を、おいしい食事と心地よい空間で、ちょっとだけ幸せにできたらいいな、と。その根底で、その裏で、誰に知られなくとも、「自分の信念と思いが、このようにして半径1㎞の住民の方々の幸せに貢献するきっかけになっている」という自己満足と達成感があれば、それでいいな、と。
しかし、事業というのは、もっというと、経営というのは、始めてみて、やってみて、続けてみて、
だんだん、視野も、視座も、変わってくるものです。少なくとも私は、変わっていくべきと考えますし、それこそが成長であって、同じところに停滞し続ける、安穏と現状を維持し続ける、という姿勢で生きていきたくはないという人間です。
私は、2019年4月に、とんかつカンティーヌゆめみるこぶたを開業しました。そして、同時期に開業したほかのあらゆる事業者の方々と同じように、その翌年から、毎年のように次から次へとやってくる荒波のような、社会の、世界の、大きな変化に見舞われ続けました。
パンデミック、ウクライナ侵攻、世界の物流混乱、あらゆるコスト上昇、格差を拡大する経済成長、急激すぎるテクノロジーの発展、イランへの攻撃、
そうした世界の一大事は、ひとつひとつ確実に、ダイレクトに、事業コストと市民生活コストを直撃してきました。30年もの間なにも変わらなかった、停滞し続けていた日本も、生活のサイクルとスタイル、価値観、生活物価など、様々な方面に急激な揺さぶりをかけられ続けることとなりました。
幸か不幸か、それらはすべて、私を「同じところに停滞し続ける」「安穏と現状を維持し続ける」という思考など否応なく不可能ならしめ、常に未来を見据え、常に現状を考え直す、という姿勢を、経営をする立場としての私に、植え付けてくれることとなりました。
そんなこんなで、開業以来いっときも息つくことのできないまま、とんかつカンティーヌゆめみるこぶたはひたすらに変化し続けてきました。
そのたびに、そのときの思いの記録を残した自分の文章があるので、ここではそれらを、ほぼそのときのままの形で、「とんかつカンティーヌの歴史」として、のこしておくこととします。
1. とんかつカンティーヌのアイデア誕生のお話
これは、2019年4月の開業時に書き下ろし、HPと店内のメニューブックに公開した文章です。
カンティーヌCantine
カンティーヌという聞きなれない言葉は、「食堂」を意味するフランス語です。
実は店主はとんかつ屋ではなく、ずっとフランス料理の世界で料理人として修業してきました。
でも、自分でお店を出すときには、「フレンチレストラン」とかっこつけて構えるのではなく、「食堂」として利用してもらえるようなお店をやりたいなあ…とずっと考えていました。
カフェ
そしてまた、「カフェ」という空間が好きでした。自分だけの時間を過ごせる、居心地のよい空間、ゆったりした音楽…そんなほっとリラックスできるようなお店にしたいなあ、と思っていました。
飲み物
店主はあまりお酒を飲みません…というより、いわゆる「呑みの場」の雰囲気が、あまり好きではありません。
世の中、「呑み好き」な人にとってはきっと楽しいのであろうお店はいっぱいあるのに、呑み好きでない人、お酒を飲めない人、あるいは「お酒は要らない」という人にとってうれしい「食事のお店」はほとんどないなあ…という問題意識をずっと抱いていました。
とんかつ
一方でまた、とんかつという料理が好きでした。
幅広い様々な種類の飲食業においては、既製品のもの、すでにできあがっているものを、注文に応じて温めなおして、盛り付けなどの「最後の仕上げ」だけをほどこして提供、としている事情があることは、様々な制約上、致し方ありません。
それでもとんかつだけは、おそらくどんな店であったとしても、ほぼ間違いなく、「注文が入ってから揚げて、できたての状態で出てくることが確かである」という数少ない料理として、料理人の私は、ひそかに注目していました。
このライブ感、臨場感、できたて感があるから、とんかつはいい。それに、副菜のキャベツもある。椀物もあって、漬物もついてくる。まさに一汁三菜、日本の献立として完成されている、この満足感。
しかし…これを、もっといい形に、もっといい料理に、もっといい食事体験に、革新することは、できないのか…?あまりに形式として固定化されすぎてしまっているこのとんかつという料理を、フレンチの料理人である自分が、新たに解釈し、再構成したとしたら、いったい、どんなことができうるか…?
とんかつの…カンティーヌだ!
それならば、カフェのようなかわいくて居心地のよい空間で、「呑み」の空気に取り巻かれることなく、自分だけの食堂のような感覚で、でもたまのちょっぴりぜいたくなごちそうのお食事処として利用できる、全く新しいとんかつ屋をやろう!と考えました。
でも「とんかつ食堂」?「とんかつカフェ」?「とんかつレストラン」?どれもしっくりこない…
すでに存在している業態としての「食堂」「カフェ」「レストラン」という言葉が持っているイメージには、どうしても自分のコンセプトは合わない。
となれば……「新しい概念を表すカテゴリーとしての業態名」を、作ってしまおう!
というわけで生まれたのが、「とんかつカンティーヌ」です。
日本社会の中で新しく、「プチごちそうなお食事体験を提供する、カフェのような空間で、食堂として利用できて、レストランのような気分になれる」業態として、広めていくことができたらいいな、と考えました。
2. コロナ渦中のとんかつカンティーヌ
これは、上の「1. とんかつカンティーヌのアイデア誕生のお話」に続く追加文章として、2022年11月に書き下ろしたものです。
そんなとんかつカンティーヌのオープンから、ちょうどきっかり1年後…2020年4月の緊急事態宣言の発出とともに、日本社会はコロナ禍に突入。その時点で、「飲食店という事業そのもの」を一時休止してしまうことを、決めました。
そしてフレンチ惣菜のテイクアウト商品販売だけを行う「デリカテッセン」に業態転換し、「おうちごはんのテンションを上げる!」ことをコンセプトとした様々なデリ商品を、「おうちでカンティーヌ」商品と銘打って(ブランド名として)、販売してきました。
そのまま、結果的に2年以上もの間営業を続けることとなったデリカテッセン業態を、2022年5月、とうとう終了し、そこからまた「飲食店」の業態に戻す準備に、取り掛かり始めました。
すでにウクライナ情勢が始まっていたこともあり、新たな開店のためにはある程度以上の時間と入念な準備が必要と考えていたため、そのための準備期間、兼、ゆるやかに店内飲食の形態に戻していくためのクッション期間、として2022年6月から10月までの期間限定で、カフェ業態“ café Kobuta ”に再転換し、サンドイッチハウス&カフェとして、営業をしていました。
そしてこれは、今でも忘れられない2020年4月7日、日本で最初に新型コロナ「緊急事態宣言」が発出された、まさにそのときにHPで公開した文章です。
店をオープンしてからちょうど一年で起こったまさかの事態に、飲食業を一旦とはいえ「捨てる」ことを決意し、このような緊急事態に、いったい自分が何をできるのか、と必死で考えた末にひねり出した答えを、表明しました。
2020年4月
「おうちでカンティーヌ ゆめみるこぶた」は、新型コロナウイルスの危機によって緊急事態宣言が出されるに伴って、こんな時勢だからこそ、という思いで、とんかつカンティーヌゆめみるこぶたが、近隣にお住まいの皆様、ひいては日本社会に対して提案することを考えた、新しいコンセプトのデリカテッセンブランドです。
新型コロナウイルスの出現によって、我々の(人類の)生活は一変させられてしまいました。全く予断を許さない状況であるばかりか、今やすでに、考えられうる限りの最悪の事態をすら、想定しておかなければならない段階にまで至っています。
外出の機会も減り、ご自宅でお食事を作る回数も増えているかと思います。その身体的負担や心理的ストレスも、じわじわと一般市民全員の心の余裕を、蝕んでゆくことが予想されます。
そんな時だからこそ、とんかつカンティーヌとして何かできないか、というテイクアウトサービスを考えていました。
これは単に、飲食店としての営業が立ち行かなくなる自身の売上を補填するための新しい販路としてのテイクアウト商品販売、という意味だけのものではありません。
心の余裕が失われてゆくということ、食の楽しみが制限されてゆくということ、ご自宅でお料理をされることの負担が増し、それがともすれば苦痛となってしまいかねないこと、それら全ては、食卓を囲むことの文化的な意味と豊かさをまで、我々から奪ってしまうことにもなりかねません。もしそうなれば、それは文化的損失であり、社会的損害だと考えています。
とんかつカンティーヌゆめみるこぶただからこそ、できるテイクアウトサービス。なすべきテイクアウトサービス。
それは、単純に「中食(なかしょく)」として、できあがったお弁当やお惣菜を販売することではなく、「食を通じて社会を豊かにする」という当店の理念を、体現したものでなければならない。
それを考えた結果、ご自宅でのお料理時間を、お食事体験そのものを、もっとワクワクできて、いつもより少しだけテンションの上がる、そして、ちょっとレストラン気分にしてあげられるような、「プロの料理のパーツ素材」を、「おうちでカンティーヌ ゆめみるこぶた」の名前で、デリカテッセンとして販売することを決めました。
あまりおしゃれなものでなくていい。特別すぎるものでなくていい。あくまで、家庭で作るのは、いつもの家庭料理。でも、いつものあの料理に、このパーツを加えるだけで、作る人も、できあがるのを待ってる人も、食べているときも、食べ終わったあとも、みんながちょっとだけ楽しくて豊かな気分になれるような、そんなテイクアウト商品。
お料理をするのが楽しくなる。お料理を見ているのが楽しくなる。ちょっとお料理に手を出してみたくなる。パカッと開けてすぐ食べられるサラダもおそうざいも、実はパーツとして工夫して使ってみれば、さらに新しい面白さに気づいたりする。そんな工夫の知恵を交換しあったり、お気に入りの一皿ができたら、写真に撮ってシェアしたり。気分は、おうちの中だけの、グランシェフ。
料理が、食が、この閉塞の期間に、少しでも光を照らし、笑顔を取り戻させてくれるもので、ありますように。
とんかつカンティーヌ ゆめみるこぶた 店主
3. カンティーヌから、カンティーヌ⁺(プラス)へ
これは、2022年11月に書かれた上の「2. コロナ渦中のとんかつカンティーヌ」の続きです。
カフェ業態“café Kobuta”を営業しながら…
コロナ禍の2年間で、社会の形は、大きく変わったと考えていました。この先コロナ禍が完全に収束したとしても、ウクライナ情勢がもし仮に奇跡的に安定的な決着を迎えたとしても、
もはやこの世界が、この日本社会が、それ以前の形に戻るとは、私には思えない。そう考えていました。
おそらくこの社会に生きる半数以上の人々においては、ものごとの価値観、金銭的感覚、人生観、生活のスタイルやサイクル、
そういったものが、すでにある程度以上、変化してしまっているのではないかと、私には思われました。
そしてその変化は、幸運なことに…今まで日本社会をずっと支配してきた、停滞感、膠着感、閉塞感の根本的原因であった、「日本という社会構造の中でわだかまり続け、何十年も対流していなかった泥沼のような部分」から、
足を引っこ抜けるきっかけを初めて得られたような、そんな変化なのではないかと、私は、肯定的に捉えていました。
まだしばらくの間は…
そんな昔からの泥沼部分から思いがけず足が抜けたこの機会に、このままさっさと離れてしまいたい、と考える人と、
未だにその泥沼に浸かっているほうが身動きせずに温かいままでいられる、と感じ考える人との間で、
意見の相違はくすぶり続けるかもしれません。
でも私は、そんな泥沼には戻りたくないと考えている側の人間で…
同じように考える人たちこそが、きっとこれから新しい社会の形を、作っていくのではないかと思います。
そんな来たるべき、これからの社会の形…
そのためにこそ、コンセプトを新たにした、新しいとんかつカンティーヌゆめみるこぶたが…
とんかつカンティーヌ⁺(プラス)ゆめみるこぶた
として、2022年11月、リニューアル再始動したのです。
4. たっぷり野菜&フレンチな「レストラン未満の、食堂以上。」とんかつカンティーヌゆめみるこぶた
これは、2026年9月に、1年前(2025年10月)を振り返って、新たに書き下ろした文章です。
2022年の11月、当店はコロナ前、つまり開業したときと比べると、大きく店の形を変えました。それは料理内容と価格の大きな変更、ひいては店のポジショニングとブランディングの変更までをも伴う、事実上のリニューアルオープンでした。
そしてそれから、さらに3年間。
2025年の10月、この日本社会は、それまでの30年間で経験したことがなかったような、大きな変化を迎えていました。抗いようのない波となった、あらゆる物価の高騰。変貌していく社会の中で、とんかつカンティーヌもついに、改めてまた、大きな価格改定に踏み切ることを決断しました。
それは、単なる「値上げ」という簡単な話では、ありませんでした。
そのときの、自分の中で葛藤し続け決意するに至った考えを、自身の説明責任として、SNSマガジン&メールマガジン「こぶた通信」とホームページで、連載公開し続けました。そして今は、その数ヶ月にわたった記録を、このHP内のブログページにて保存しております。
(ブログ2025年10月2日投稿「この大きな価格改定に至る前の、長い長い葛藤録」)
もとはと言えばコロナ渦中の世界の物流混乱に端を発し、その後局所的に起こった異常な経済過熱から狂い始めた、世界の需給均衡。その不均衡は時間が経つにつれ、まさかの「戦争」まで絡まりあうこととなって、収まるどころかさらに膨らみ続け、世界中の様々なコストプッシュ要因となって散らばり、物価を押し上げ続けてきました。
価値観の分断は進み、独善的な正義と歴史解釈を語るならず者の指導者たちが、力にものを言わせてやりたい放題に振る舞い始め、「やったもん勝ち」になってしまった世界。それを後押しし、固定事実化させようとする嘘情報の氾濫、それを加速させるテクノロジー。
そんなすべての行いによってめちゃくちゃにされつつある、かつての「秩序」。無辜の民の平穏。
数年前までには考えられなかったような異常な事態が、もはや常態化してしまっています。
我々は、とんでもない時代に生きているのです。
「富」の総量は、人類史上かつてなかったほどの大きさに、膨らみ続けている。
テクノロジーは、常人には想像もできないような途方もない速さで、予想もつかない方向に「発展」し続けている。
そして果たして、人類は、かつてなかったほど、途方もないスピードで、「幸福」になっているのか?
いったい何の話をしているのか?
私は、「食」の話をしているのです。
飲食店は、人が集まってくる場所。
集い、食し、語らい、笑い、時にそこから何かが生まれ、何かがつながる場所です。
おいしいものを食べたいという、人間の、いやあらゆる生物の、最も本源的な喜びと楽しみを求める心から、様々なものが集まり、様々な方向に、ひろがっていく場所なのです。
その「場所を作る者」に与えられた可能性——あるいは、責務――とは、なんなのか?
何も考えずに料理を提供し、もらった対価を自分の生活の糧にして、おしまいとすることもできる。
バズって人気店となることを求め、そして成功して金を儲けることもできる。
高級なものを供して、スノッブな成金富裕層に取り入り、自分も金と名声とステータスを得ることもできる。
どんな場所であれ、そこには、その場所と一貫性のある人たちが、集まってくる。
店とは、作る者の人間を、如実に表す。表すどころか、その人間そのものが、現れる。そして、類が友を呼び、集まりつながり、ひろがっていく。
ならば自分は、自分なりの考えに基づき、自分なりの場所を作り、自分なりの方向性に向かって、
人が集まり、つながり、ひろがっていくような、そんな店を、場所を、作ろう。
混沌とする世界と、社会の時流の中で、私は改めて、そう決意したのです。
上で、2025年の10月、単なる「値上げ」という簡単な話ではなかった、と言ったのは、そういうことです。
2022年11月、「とんかつカンティーヌ⁺(プラス)」と一旦名を変えたことも、
2019年の開業時から一段階生まれ変わった姿の表明としての役割は、すでに果たした。これからは、そこをデフォルトの土台として、さらにとんかつカンティーヌとして目指すものを、積み上げ、成型し、時にそぎ落としていく。
自分が、本来の自分でありたい。そして本来の自分が、本来やりたいことを、もう隠すことなく、物怖じせず、この店の中に、ありったけ詰め込んでいきたい。
そう腹をくくって、店名まで、誰から見てもコンセプトが端的に伝わりやすいよう、
たっぷり野菜&フレンチな「レストラン未満の、食堂以上。」とんかつカンティーヌゆめみるこぶた
に、改めて変更しました。そしてそれとともに、価格改定だけでなく、料理内容も、メニュー構成も、ブランディングも、改めてチューニングし直しました。そして、外部から見える変化よりもさらに大きな、心の変化をもって、私はまた再出発しました。
とんかつカンティーヌはこのようにして、これからも、常に更新され続けてゆくのです。
5. to be continued for ever...
とんかつカンティーヌの、事業理念…
食を通じて、社会を豊かにする。世界の問題を、考える。
そのために、やってみたいことがいろいろあります。アイデアとしては…。
しかしそれはまだ、今の時点、今の段階では、なかなか難しいというか、そもそもこんなちっぽけな店舗経営の足元すらおぼつかない状態で、雲をつかむような、大ぼら吹きみたいな大風呂敷のアイデアです(笑)。
しかし私は、何より大切なのは理念だと考えています。
毎日、石を運ぶだけの仕事をしているとしても、それを本人が「ただ石を運ぶ仕事をしている」と考えるか、「壮大な大聖堂を建てる仕事をしている」と考えるか、それによって、その仕事の質にも、人としての矜持にも、その先に行きつく先にも、すべてに大きな違いが生まれてくると、私は考えています。
これからも、考えていること、試したいこと、目指す方向性は、ホームページ「カンティーヌランド」上で、随時公開、更新していくつもりです。
ほんの少しだけでも、ご興味をもって気にしていていただけたら、店主としてとてもうれしいです。








